【四国遍路】世界征服やめた【23日目】

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朝、「おはようございまーす!」という声とともにテントから出る。昨日のおばちゃん(森さん)が約束通り朝ご飯やら着替えやらをたくさん持って来てくれたのだ。


オニギリからおかず、味噌汁まである。すごすぎである。昨日たまたますれ違っただけの人間にここまでしてくれるのだ。高知の人は暖かいと感じていたが、森さんには頭が下がる。ご飯だけではなく着替えも頂いたので、正直荷物は重くなってしまったが、それはむしろ嬉しい重さだと思い、その重さとともに四国をまわっていこうと思う。「帰りに片付けに来るからゴミとかはトイレのとこに置いといてねー」とのことで、ランチボックスの中に感謝の気持ちとして置き手紙を忍ばせておいた。

森さんが去った数分後に昨日野宿場所を教えてくれた農家のおっちゃんと若い兄ちゃんがやってきて軽く談笑する。結局この後もう1人別の農家のおっちゃんも加わり9:30くらいまで話してしまっていた。若い兄ちゃんは一年ほど前に神奈川からこっちに移住して来たらしい。前々から農業には興味があり、「自分の口にするものは自分で作りたい」という想いがあるらしい。どこが住みやすいと感じるかは人それぞれだが、高知に住み込んでしまう人が多いというのは、今ならハッキリと理解出来る。

おっちゃん達にお礼を言い野宿場所を後にする。


深夜と朝方はまだ冷え込むが、昼にはもううだるような暑さが襲ってくる。茶畑を横目に39番の延光寺を目指す。


が、結論から言うと今日はほぼブログの日となった。この日は近くにあったローソンの椅子に腰掛け、溜まりに溜まったブログ記事4日分をひたすら書いていたらなんと3時間近く経過してしまっていた。時刻は15:30である。これは下手したら延光寺の参拝すらできなくなるかもしれないと思い、途中で切り上げ急ぎ足で遍路道を歩いていく。

結局、延光寺に着いたのは16時過ぎ頃で、参拝を一通り済ませると16:30になっていた。



当初は40番の観自在寺近くまで行く予定だったが、急遽納経所の方にこの辺りの野宿場所を聞き、ここから1時間ほど歩いた橋の先にある遍路小屋で野宿することに決める。

野宿場所を目指し歩きながら、ふと、挨拶のタイミングの面白さに気付く。お遍路さんにしろ、地元の方にしろ、みんなどこか気づいていながら、挨拶をするタイミングを窺っているものだ。相手との距離が離れている段階で挨拶をすれば、近づくまでにもう一言二言何かしらの会話をする間(ま)が生まれ、そこから話が広がっていくこともある。一方すれ違いざまに挨拶をすると、間は生まれず、それこそ挨拶だけで終わってしまいそこから会話が発展することは滅多にない。人との出会いを増やしたいのならば、早めに挨拶をして、一時の間から会話を広げていく方が面白いんじゃないかと個人的には思う。

1人で歩いていると、こういう些細なことを深く考えてしまうことが多い。

夕陽も落ちかけた頃に野宿場所の遍路小屋に到着。その瞬間、一台の車が近づいて挨拶をして来た。誰かと思えば一昨日じんべい広場に大量のお接待を持って来て頂いた、あの男性である!ここで再会するのもまた何かの縁だなぁと思っていると、ここより快適な野宿場所がある「道の駅すくも」まで乗せて行ってくれるとのこと。歩き遍路なので基本的には車での移動は断っているものの、ここから40番に向かうのと、道の駅から40番に向かうのとは距離的には大差ない事と、何よりこの再開の縁を大事にしたいと思ったので、お言葉に甘えさせて頂き、道の駅まで運んでもらうことに。

車中で自分のことを軽く話しながら、すぐに道の駅に到着。お接待で今川焼きと1ℓほどもあるコーヒーを頂き、仙さん(この男性)と別れる。

道の駅すくもの遍路小屋は確かに立派で2階建ての1階部分は休憩所、2階部分にテントなどを張れるスペースとスダレのような日差しよけまで完備されていた。

観光名所にもなっているだるま夕陽は見れなかったけれど、綺麗な空が広がっていた。

一通り辺りを物色した後、もしやと思い試しにWiMAXを起動してみるとバリバリ繋がる。電池にもまだ余裕があるし、久しぶりに音楽でも聞いてみるかーと中島みゆきの「糸」と不可思議くんの「世界征服やめた」を聞いた。どっちも今の状況で聞くとありえないほどいい曲で自然と涙が出た。特に不可思議くんの「世界征服やめた」は僕がこの遍路旅に出るきっかけになった曲でもあるから感慨深い。

公開するつもりはなかったのだけど、この曲を聞いて、想いを綴ったメモがある。正直長いので読み飛ばしてもらって全然構わないし、結構ネガティヴな文章なので不快になるかもしれないことを承知しておいて欲しい。

【世界征服やめた】

今日も1日が始まった。


昨日不可思議くんの「世界征服やめた」という曲を聞いて泣いてしまった。


不可思議くんは言う、「もしも誰かが世界を征服しに行こうぜって言ってくれたら、履歴書もスーツも全部燃やして、今すぐ手作りのボートを太平洋に浮かべるのに、こういう日に限って、お前からメールは来ないんだもんな。」どうやら僕にもそんな連絡をよこす友人はいない、いや、いる人のほうが珍しいのか。


でも、だから、多分、世界征服には、自分で繰り出さなければいけないのだと、思う。そして、不可思議くんは詩を描くことをやめなかった、やめずに書いて書いて、そして、24歳で死んでしまった。僕は今、あなたが魂を燃やし続けた現実を生きています。世界征服には行っていないし、魂もこれっぽっちも燃やしていません。そしてそんな自分に不甲斐なさも少し感じていて、そんな人間が、あなたの残したポエトリー・リーディングを聴いて、涙しました。


世界征服ってきっと、世界を征服することが目的なんじゃなくて、世界征服をすることそのものの方が、よっぽど大切なんじゃないかと、僕は思う。歳を取るにつれて、色々と守るべきものも増えて、人間は保守的になりやすいと言われていて。でもほんとうは、守るべきものなんて言い訳にすぎないことも自分が一番良く知っていて、そういう環境の中で、世界征服に繰り出していくやつを羨望や、時には嫉妬混じりの眼差しで見つめることもあって、自分が取り残されていく感覚を肌身に感じて、インターネットはその孤独感を加速させることもある。


世界征服に行く奴は、決まってサラリと言う「そんな愚痴こぼす暇があるなら、お前もさっさと世界征服行けよ」と。サラリと。


ごもっともだと思う。正論過ぎて何も言えない。昔の自分なら、それを悪びれもなく言う側だった。


でも、今は言えない。頭ではわかっていることを、正論を、すぐ行動に反映できる人間ばかりではない。


――こういう愚痴が嫌いだった。ウジウジしていてみっともないと思っていた。昔の自分なら。


でも、自分が弱い立場の人間になったことで気付くこともある。資本主義は便利な半面、時に冷酷だ。現実はシビアで、その資本主義の溝に落ちてしまった人は、切り捨てられてしまう。


そっと寄り添ってあげたい。社会的弱者、負け組、そんな烙印を押されている人がいたら、正論を振りかざすことに何の意味があるのだろうか、と、思う。正論は、正論過ぎて、時に残酷だと思う。小学生が純粋であるがゆえに人を傷つけてしまうことと似ている。


けれども、愚痴をあまり長い間言い続けることはよくないことも分かる。寄り添ってくれる人がいないこともある。そういう時は、口をつぐんで、静かに、自分で自分に寄り添ってあげるしかない。


そして、いつか、やはり結論は同じなのだけれど、世界征服に行ったほうが楽しいんだと思う。


だからと言って、世界征服に行かない人を見下す風潮は、生きづらい。


不可思議くん、僕は、まだ、世界征服に行けてないよ。舟も、まだない。

不可思議くん、今僕は、僕なりの世界征服に来ているよ。あなたが叫んでいた通り、魂を燃やして、命を燃やし続けているよ。

【支出】なし

【歩行距離】20.9キロ

【参拝霊場】39

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