金平善根宿の奥の部屋で寝袋にくるまり眠ったものの、寒さで何度も目がさめる。昨日管理人のおっちゃんから頂いた蚊取り線香を使うのを忘れて寝てしまったものの、蚊に悩まされることはなかった。たくさん虫もいたんだろうけど、電気を消して真っ暗にしてしまえば何も見えない。何も見えないなら、いないのと一緒である。寝れば何も感じない。
一晩乾かした洗濯物を取り込み、乾ききっていないものを日差しで乾かすためにザックに引っ掛ける。ここの管理人のおっちゃんは見た目からして絶対個性的な人だろうなぁと思いつつも、そこまで話すこともなく8時過ぎに金平善根宿を発つ。
打ち戻りなので一度来た道を引き返していくことになる。この辺はしばらく何もないことがわかっていたのと、昨日夕飯を食べておらず腹が減っていたので、途中の定食屋で朝飯を食らう。
腹が減っていたのでご飯粒1つ残らずは勿論の事、魚の骨までバリバリ残さず食べたら感動された。
エネルギーを補給し再び歩き始めていると、チリンチリーンという自転車のベルとともに管理人のおっちゃんが横を通り、買出しに行くスーパーまでしばらく一緒に歩くことに。
僕としてはこのおっちゃんと話せるのは願ったり叶ったりだ。この方まず見た目のインパクトが強い。会う度に絶対くわえ煙草をしていて、タオルを目深に頭に巻いている。わかりやすく言えば鍛冶職人みたいな風貌でまるで漫画に登場するキャラクターみたいだなぁと思っていたら、話しているうちにまさかの漫画家だったことが判明する。ペンネームは「黒咲一人」というようで、永井豪とかとともに草創期のヤンジャンやジャンプにも書いていたらしい。見るからに「個」が強いのは漫画家ならば頷ける。
あの善根宿を管理するようになったきっかけは日本一周をしている最中、知人の家を造っていたら(これもおかしな話だが)、それが取材され高知新聞の一面にデカデカと載り、それがきっかけで管理をお願いされたらしい。近頃DIYとか言って自分で物作りをするのが流行っているけれど、この人はもはやそういうレベルではない。家作っちゃう。それに比べれば善根宿の管理なんて楽勝だよ!!!と笑っていた。そりゃそうだろう。
最初から最後まで漫画みたいな人だったなぁと思いながら握手をして別れる。これまた予想通り握手が握力測定やってるんじゃないかと思うくらい強かった。余談だけれど、僕はこの旅で出会った人との別れ際に握手を交わすようにしている。その人の手の感触や握る強さ、握り方が人それぞれで、何だか面白いなぁと思うからだ。
黒咲一人氏と別れた後は新しく出来たという以布利トンネルを通り遍路道に戻る。
そしてこの前結局出口がわからずじまいだった大岐海岸の出口にたどり着く。
この岩場が出口になっていたらしい。正直あの暗さでは分かるわけがない。
更に、出口にたどり着くためにはこの小さな川みたいなものを通り越さなければならなかったのだ。上流の方に行けばギリギリ渡れるような岩場があったものの、あの時はこの川で断念してしまった。やはり海辺を渡るなら日が出ていないと厳しい。
大岐海岸を後から追いついたお遍路さんとともに歩いて行く。このお遍路さんから途中おにぎりを頂き、海を眺めながら頬張る。
やはり日が出ていると、景色が全然違う。入口の橋も夜だとこの表情だが、
昼間はこんな風に明るく出迎えてくれている。
3000円で一泊二食付きのお遍路さんに人気の宿「ロッジカメリア」の辺りでオーナーのおっちゃんに声をかけて頂きトイレを貸してもらう。その際に米菓子のお接待を頂き、ありがたく頬張りながら遍路道を進む。
ここからは何もない県道が延々と続く。今までの遍路道の中で1番、名前は分からないが数十匹くらいの群れでよく街灯の下にいるような小さな虫が多い道だった。
もういい加減お腹いっぱい感はあるが、山山山、である。
ここまで数時間、この県道は売店らしきものが1つもないばかりか、自販機すらない。日差しがきつく水分を奪われ、飲み物もない状態でどうしようかと思っていたところに、一軒の遍路小屋を発見する。
この遍路小屋、今まで見たものの中で一番豪勢な遍路小屋で、カップラーメンから飲み物、更には足の治療用具までお遍路さんが必要としていそうなものは何でも揃っていた。しかも自由に使って良いとのこと。
飲み物も食べ物も困っていたところだったので、ありがたくカップ麺1つとペットボトルのお茶を2つ頂く。ここの管理をしているお父さんにこの辺の野宿場所を聞くと、ここでも野宿していいし、もうちょっと歩くならこの先にキャンプ場と三原村の集会所辺りに四阿もあるらしい。
時刻は17時過ぎ。ここに泊まれば朝飯は確保できるものの、足はまだいけそうだったのと、自分一人でカップ麺をバカスカ食べるのも気が引けたので、ここから6.7キロほど先にあるという三原村の四阿を目指すことにする。
そういえば、遍路小屋のお父さんと談笑していた時に考えさせられることが2つほどあった。今朝、金平善根宿を出る時にお世話になったせめてもの気持ちとして浄財100円を納めたことを言うと、お父さんは「私はあれ嫌いや」と言っていた。浄財箱があると、それだけでそこにお布施しなければならないような雰囲気がつくられてしまうからだという。お金を取るなら初めからとる。とらないなら一切とらない。そうハッキリ白黒つけた方がいい。とおっしゃっていた。
確かに、無料でお接待をされると何か返さなければならないと言う気持ちになるのが人間の性だが、無料のお接待には、相手の喜捨の気持ちを尊重するためにも、お金を払わない方が良いのかもしれない。試食コーナーよろしく別に返報性を利用したビジネスをしているわけではないのだから。
そしてもう1つ、これは自分自身に対する戒めでもあるのだけれど、相対主義に陥らないように慎重に言葉を選ばなければならないと思った。
誰かと何かを比べ始めるとキリがないし、それをしている限りは不幸なままであることはみんなどこかしらで分かっているものの、それもまた人間の性(さが)であるのか、自然と、無意識のうちに相対的に物事を見てしまっていることが多々ある。
現に僕も他の歩き遍路さんと歩くペースを比べたり、この遍路小屋が今までの中で〜や、今までのお接待の中で1番〜とついつい無意識的に思ってしまっていた。これはあかん。だからこそ、この遍路旅中はせめて、相対主義に陥ってしまうような言葉は注意して、意識的に避けようと心に誓った。
何もない田園風景だったが、田んぼの水面に反射した山が美しかった。
三原村の野宿場所に着く直前、たまたますれ違ったご夫婦に挨拶をし、この先の四阿で野宿することを伝えると「あとでなんか持ってくわ!」と言い去っていった。高知の人は社交辞令などなくいつでも本気とは聞いているが、本当だろうか。なにせたまたますれ違っただけである。
そのまま歩いて数十分後、野宿場所近辺に到着。近くにいた農家のおっちゃんに、集会所の四阿以外の野宿場所も教えて頂く。
そこはトンネルの横のお地蔵さんの裏手にある掘っ建て小屋のような場所だった。
せっかく教えて頂いたものの、当初の予定通りトイレも水もある集会所脇の四阿で野宿をすることにする。
暗くなる前にテントを張っていると一台の車が集会所の前に止まる。もしや!!と思い様子を伺っていると、中から先ほどのおばちゃんが、大量の袋を抱えてこちらに向かってきた。この前のじんべい広場のおっちゃん並に大量のお接待を受けた。
いやはや、高知の人暖かすぎである。先ほど相対主義に陥らないようにしようと思ったばかりなのに、こんなに大量のお接待は今までで1番だなぁと思ってしまった。
重ね重ねお礼を言いお札を渡す。毎度の如く今日も夕飯は抜きだと思っていたのだが、まさかの一人宴会状態になった。しかもおばちゃんは明日も朝おにぎりを持ってきてくれるという。どういうことだ。暖かいにもほどがある!!!
おばちゃんのおかげで食いだめするレベルにはお腹も膨れ、ぐっすりと安眠することが出来た。もうすぐ高知を出てしまう。修行の道場なんて呼ばれているけれど、僕には高知の人の暖かさのおかげでそんな風には思わず、むしろこれが修行ならしばらく留まってしまいたい、なんてことを、思う。
【支出】飲食費850円、260円、140円
【歩行距離】37.1キロ
【参拝霊場】なし