人生で初めて断食をした。
期間は1週間。(断食道場に3泊4日、自宅で3日)
水以外のどんなものも一切口にいれない。
あまりにシンプルなルールだがこんなマゾヒズムあふれる経験は、飽食の日本ではなかなかないだろう。
僕が入堂した断食道場は千葉県にある成田山新勝寺という真言宗智山派の相当デカいところ。
よくニュースなんかでお相撲さんが豆をまいてるあそこである。
1日のスケジュールは以下の通り。
4:30 起床
5:00 集合、健康チェック
5:30 朝護摩参拝
15:00 集合、説法(ない時もある)
18:00以降外出不可
22:00 消灯
朝が早いものの全体的にかなり自由だ。
道場自体は簡素な造りだった。8畳ほどの空間が横並びに3つあり、1スペースに2人寝るようになっていた。つまり最大6人収容できる計算だ。その他には洗面所とトイレがあるのみだった。
さて、タイトルにもある通り、人は1週間胃に何も入れないとどうなるのか。
あなたは知っているだろうか。知らないだろう。
その謎がついに解けた。
まさかとは思うが、腹が減るのだ。
――もうそれはとてつもなく腹が減る。腹ぁ減ったなぁ、なんてつぶやくレベルではない。例えるなら、「EXTREEEEEME I’m 腹減った ぴゅううぅぅぅぅぅうううう、ぴゅううぅぅぅぅぅうううう hugriest!!!!!!!!」 ぐらいに腹が減る。自分でも何を言ってるのかよくわからない。1つだけ言えることは、この文章書いてる机の脚を甘辛く炒めて食べたいということだけだ。
しかしそんな飢餓状態の体にも変化が訪れる。人間の環境適応能力は凄まじいもので、空腹に慣れるのだ。
道場に入る前、健康診断を受診した。そのクリニックの待合室で、なんの試練かテレビで延々と新ごぼうの特集を見せつけられていた時に感じたあの空腹感はどこ吹く風だ。
いや、正確には空腹という状態がまるで初めからそうであったかのように、体の中で違和感なく他と調和している印象さえ覚える。
とはいっても体にエネルギーを摂取していないので、生命活動が著しく乏しくなる。端的に言えば、なんもやるきおきねぇ。
このときの自分を野菜に例えるならごぼうである。笹がきされるのをただひたすら寝て待つ、ごぼう。
――ごぼうて。待合室で見せられていた新ごぼうの特集はこの伏線だったのか。は。
それはそうと道場はスマホを含めた一切の電子機器持ち込み不可のため、暇だ。最強に暇なのだ。お寺自体が広いと言っても1日もあれば散策できてしまう。空腹感は超越したものの何もする事のない苦痛に襲われる。その結果、道場にある抹香臭めの本を読むか、ごぼうのように布団にへなぁっと横たわって1日を過ごすことになる。
暇なので写経をやってみたりもした。が、エネルギーが枯渇して少し意識が朦朧としていたせいか、写経して無我の境地に至るまでもなく、もはや写経する前から無我。故に写経→即→無我だった。
話は変わるが、3日目から急に声が高くなってビビった。自然と声がドレミファソラシドの「ファ↑」の音で出るようになった。想像して欲しい。朝起きたら自分が夢の国のマスコットキャラになっているのを。俺は何を言っているんだ。
――4日目
ますますエネルギーがなくなりごぼうというか、もはや枯れた花のようだった。階段の登り降りですぐに息が上がるようになり、フラフラした。身体が痺れることもあった。全身の生気が乏しく、リアル初老感を肌で感じた。
――5日目
今日で新勝寺での断食修行は終わるが依然として空腹感はない。
宿便は未だ拝めていなかった。
道場は退堂するがまだ断食自体は折り返し地点。
寺から出て誘惑渦巻く俗世と交じってからこそが本当の意味での自分との戦いになるだろう。
駅のホームからふらっと倒れないようにしたい。
――6日目
スマホが使えなかった反動か、1日中ゲームをしていた。
ゲームをしていると思考停止気味になるので、断食中だということ忘れられた。
しかし一度腰を上げれば、自分のエネルギー不足を想い起こさせるかのように疲労感に襲われる。
そのため、またダンゴムシのように身動きもせずゲームをするという1日だった。いやダンゴムシの方がまだ動くか。 もはやこれはセミである。セミの抜け殻と同じだわこれ。
――7日目(最終日)
温めたH2Oを飲んでいる。ただ単に水を温めただけなのにこれがべらぼうにうまい。最終日も相変わらず空腹感と呼べるような感覚は乏しいものの、日を追う毎に体のエネルギーは枯渇しているように思う。ただ一方で、心は静謐そのものだ。意識が朦朧としているのも相まってすこぶる穏やかな状態を堅持している。この感覚はわりと嫌いではなくて、むしろ好ましくさえ感じる。
――8日目
1週間に及ぶ断食が静かに終わった。
結局宿便は拝めなかった。
これから回復食である重湯を食べる。しかし謎の食いたくない衝動に駆られている。
1週間もやったんだからここで終わってしまうのはもったいない感がある。
そんな折、私の前に一人の少女が現れた。間違いない。あれスジャータや。
これまた同じく断食瞑想していたブッダの前に粥を持って行った村の少女、スジャータが粥を持ってきてくれた。
おぉ……
……
…………
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うま
静かにうまかった。
梅干しの塩分が口の中に広がりそのまま体内に澄み渡り充足されていくのを物凄く感じる。
は
梅干しってこんなんまいの
と、思っているのも束の間。
ごごごごごごと下腹部の方から静かに、しかし確実にこみあげてくるものを感じ、私は慎重にかつ素早く席を立った。
そう、奴がきたのだ。1週間ぶりのお出ましである。
……
…………
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便意 is coming\(^o^)/
すぐさまトイレに駆け込むと下痢と言うにも満たないような汁っぽい便が出た。
まさか今食べた重湯がそのまま!?!?!?!?
と、一瞬自分の体内器官のハリボテぶりを疑ったが、よくよく凝視すれば本当に下痢にも満たないような下痢、下痢の子供のようなもの、下痢’s Children言い換えるならゲリチルだった。
――さて。
ゴルゴのキジ撃ちを交わしたあとは、もう一心不乱に重湯をかきこんだ。
――あぁ。
……ょうざくいてぇ。
ぎょうざが食いてぇ。一味と山椒をとびきりきかせた麻婆豆腐がくいてぇ。卵をこれでもかと使った甘辛のタレに絡めたチキン南蛮を口いっぱいに頬張ってそこに炊きたての白米をおしこんでフタをしてぇ。サイドメニューにしょうがポン酢がかかったナスの素揚とほうれん草の煮浸しを用意して、豆腐とネギとあぶらげだけのシンプルな味噌汁をそえて泣きながら食べたい。
あぁ。
食って彩りだなぁ。
――この後我慢できずに玉子粥と納豆、野菜ジュースまで飲んでしまった。
結局、回復食を1週間続けて徐々に胃を慣らす、なんてことは出来なくて翌日からはもう普通にうどんとかコーヒーとか飲んでるわけですが、おそらくあと数日もすれば今回の断食の体験も色あせていくでしょう。でももう絶対やらないとは思わなくて、むしろ1年に2回くらいやりたいなぁと経験した今思っております。
腸内のリセットにもなるし、なによりあのエネルギーが枯渇して意識が朦朧としている虚脱感は、一種のドラッグに似た作用があって心地よかった。一度は経験してみほしい。いやまぁハマりすぎてリアル即身成仏しないようにはしたいですが。
とまぁ、断食中に書き残したメモを拾い集めながらここまで徒然なるままに書いてきましたが、
総評として、断食、興味があるなら1週間くらいやってみるのをおすすめします。
【PS】
そうそう体重ですが59~60キロから54キロ台までおちました。
およそ6キロ減!
若干頬もコケてきております。