【四国遍路】生理的にむり夫からの逆転【17日目】

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朝だ。


完全に写真を撮り忘れたが、昨日はこの海辺にテントを張った。


木が風しのぎに役立ったが、近くにあった排水口から若干のドブの臭いがしてきたことが唯一の誤算だった。

朝は海辺ということで寒かったものの、朝日が綺麗でその他のことは一気にどうでもよくなった。今日は、どんな出会いがあるのかと、ワクワクする。

昨日の創価のおっちゃんに頂いたパンとプリンを朝飯に食べ、小料理屋でお接待代わりに貰ったタバコを海を見ながらふかし、娑婆の気分を味わった後、青龍寺に向けて出発する予定だったが、溜まりに溜まった4日分のブログ記事を書いていたら出発が10時過ぎになった笑。スマホで書くの辛い。

僕の一、二年前のテーマは「泥臭く生きる」というものだったが、この旅を通して、それは、そう生きようと思ってできるものではなく、気が付いたら、そう生きているものなのではないかと思うようになった。だから、そのためにも、まず環境を変えることだ。

そんなことを思いながら36番青龍寺に到着し、参拝を済ます。


次の37番岩本寺までは約60キロ以上あるので、2日に分けて進むことになる。

海岸沿いを黙々と歩く。今日は昨日とは打って変わって足が軽く、比較的サクサクと歩ける。



日焼けした手の皮がむけてきた。東京の区切り打ちお遍路さんに頂いた日焼け止めのおかげで、最近は日焼けによるピリピリや、灼熱感は感じない。


途中、歩道のないトンネルを2回通った。1つは心霊スポットのような怖さがあり、もう1つは普通に交通量が多くて単純に危なかった。


海岸沿いのルートを抜けると、広大な田園風景が広がる。


工場マニアに受けそうな、アーマードコア生産してそうな工業地帯を通る。


足が痛むので、応急処置的にマメの治療をしていると、近くにいたおっちゃんが声をかけてきてくれた。そのおっちゃんによると、足も辛いだろうけど、知り合いでお遍路してた奴は金タマが擦れすぎてリタイアしたらしい。まぁ人それぞれ金タマの大きさは違うけどねっ!とのこと。なんの話だ。

須崎市に入る道を、金タマのおっちゃんを思い出しながら歩く。なぜかじわじわくる。

体は毎日濡れタオルで拭いているものの、今日で風呂無し生活3日目だ。さすがに汗を流したいと思うも、須崎市内には銭湯は無いらしく、1番近いところは遍路道を外れた山を登らないといけないとのこと。仕方なく風呂は諦め、とりあえずコインランドリーに洗濯だけでもしに行く。

比較的新しいコインランドリーらしく、設備も店内も綺麗だった。


靴を洗える洗濯機を初めて見た。異臭を放つ元凶でもあるため、速攻利用する。


コインランドリーで洗濯を終えた後、洗いたての服を着て、残りを荷物に詰め、いざ出発しようとしているちょうどその時に、中年の男性が入ってきた。一瞬お遍路さんかなと思ったものの、お遍路アイテムが一切見えなかったのでスルーしていると、向こうの方から「きみ、お遍路さん?」と声をかけてきた。「はい、そうですー。」と軽く挨拶をし「お遍路さんですか?」と聞き返すと「いや、今、白衣洗ってたでしょーがあ」とニヤニヤしながら返してきた。

ーーこの時点で、ほんの一瞬ではあったが、何か違和感を感じた。そしてその数分後には、違和感は確信へと変わった。「あ、この人ダメだ。」と直感的に思った。失礼を承知で言うが、まるでマンガから出てきたような、歯の欠けたマヌケな顔と、甲高くヘラヘラしたトーンでペラペラとしゃべり続けるその話し方に、この人は、人をイライラさせることに関してズバ抜けた才能を持っているな!と思った。

更に、話す内容がまた酷い。基本的に何かしらの悪口しか言わないのである。色々と言っていたがもうここに書くのも憚られる。

このとき僕は、「ああ、この人とこれ以上同じ空間にいたら心が犯される。」と思った。止まらないそのべしゃりから逃げ出したくなったが、不思議なことに足が動かないのだ。いや、正確には逃げ出すタイミングを図らせないほどの強烈なべしゃりだったのかもしれないと、今は思う。

なんにせよ、これもまたある意味歩くことよりも辛い修行なんだろうと思い、それからその人との対話を10〜15分してしまった。もうこっちが遠回しに迷惑そうな雰囲気を醸し出しても無駄だったので、それならばと、壊滅的にどうでもいい話に逆に凄い好意的に相槌を打ってみたりもした。我ながら、キャバ嬢やったら売れると思う。

疲れた。

解放された直後にこの文章を書いているのだが、今思うのは2つで、1つは、お金は、こういう会いたくない人と会う時間を減らすために使うのが、とても有効的な使い方なんじゃないかということ。もう1つは逃げ出したくなったら、自分が死ぬ前に、他のどんなことよりも最優先で逃げ出さなければならない、ということだ。

こういう人と言い争うのは時間の無駄以外の何物でもない。往々にして自分の価値観を相手に押し付けたがるし、本質的に議論の勝ち負けには何の意味もないのに、議論を建設的にするよりも、論破ということに重きを置きたがるからだ。

基本的に人が好きで、今まで歩き遍路で出会ったお遍路さん達はいい方ばかりだったのだが、遍路に来る前も含め、数年振りに「生理的にむり」な人と出会った。これはこれで貴重なのかもしれない。

大体なんで遍路を11回も回っているのにお腹がぶよぶよなのか。何で艦これしながら遍路をしているのか。(それは笑ったけれど)まぁいい、もう考えるのはよそう。これ以上「生理的にむり夫」に時間を割く必要はない。

こういう出会いがあった後だ、暖かい食べ物と出会いに期待しながら、目星をつけていた須崎名物であるらしい鍋焼きラーメンのお店へと向かう。
ーーが、、、ダメッッッッ!!!!!!圧倒的閉店!!!!!!

あれだけネットは使わないと言っていたのに、真夜中にお店を聞ける人も歩いておらず、ネットで鍋焼きラーメンの店を探してしまった。そこには24時まで営業と書いてあったのだ。これはもうネットを使った罰だとしか思えない。というかきっとこっちの人は、お客さん来なかったり、色々と気分で店閉めちゃうんじゃないかと思ってきた。やはり、地元の人に聞くのが1番だと痛感する。

腹が減った。22時をまわった須崎市内は灯りがついているお店がない。どうしたものかと、野良犬のように辺りを徘徊する。

そこに、一軒の場末のスナックを発見する。灯りがついている!!とそれだけで、普通お遍路中は入る人はいないであろうスナックのドアを開ける。


店内にはママさんが1人、タバコをふかしていた。歩き遍路をしていることと、辺りの食べ物屋が軒並み閉まっていて困っていることを伝えると「入りんさい」と言ってくれた。が、ここはスナックである。野宿している身なのであまりお金も使えないことを言うと「そういうのは大丈夫だからとりあえず座りんさい」と店内へ促される。

「なんも食べてないんでしょう。かわいそうに〜」と、パンとおでん、更にはナポリタンにコーラまで、あり合わせの食べ物を出して頂いた。僕は腹を空かせた野良犬の如く貪りつく。レトルトのナポリタンだったけれど、たぶん、人生で1番美味いナポリタンだった。

先ほどの生理的にむり夫との出会いによる心労を吐露したいのと、ご飯を食べたいのとで忙しい。僕が話に夢中になれば、適度な間隔で「とりあえず食べ」と言ってくれる。

「お腹が空けば、心もとがってしまうし、逆にお腹が満たされれば、心も丸くなる。」そんなようなことをママは言っていた。

一通り食べ終わると、食後のコーヒーとタバコも一本頂いた。ようやく一息ついて、ホッとしていると、しばらく裏に行っていたママさんが出てきて、「はいこれ、明日食べ!」と握り飯とたくあんを頂いた。もうこの時点で、このお店に入り、何回「ありがとうございます」と言ったか分からない。

ここでようやくママさんとゆっくりお話することができた。

詳細はここには書けないけれど、まさに「人に歴史あり」と言ったところで、波乱万丈な人生を歩んでいた。前にも書いたけれど、僕は、死を覚悟するからこそ得られる達観性みたいなものが滲み出ている人間が好きだ。このママさんからは直感的にそれを感じたのだけれど、お話を聞いてみて合点がいった。

それからも色々なお話をしたり聞いたり、暖かい時間が続き、「ああ、今、こうして、生きて、この人と話ができている、それが既に幸せだなぁ。」と感じた。

ハイボールを一杯頼み、気付けば長居してしまっている。閉店の0時はゆうに過ぎている。たくさんのお接待をして頂いたばかりか、飲まさせて頂いている事に感謝し、そろそろ出発しどきかなぁと思っていると、ママさんが荷物にならないなら持ってきーとパンツ×2と靴下を渡してくれた。僕は何も渡すことのできるものがないので、最低限お札で気持ちを表す。この旅で、初めてお札に電話番号まで書いて渡した。それほどまでに名残惜しい出会いだったのだ。そして極めつけに「あたしも気持ちは一緒にまわらせて」と1000円のお布施と「ペットボトル貸しー」と言い、中に古酒を入れ始めた時はもう何周か回って爆笑していた。


もう色々とあっけに取られているうちに、会計もしないまま、最後に握手を交わし見送られた。

ーーお店を出て、今日の野宿場所である道の駅かわうそに至るまでの道のりで、先ほどの時間を反芻する。

ママさんは「高知は給料は安いし、物価は高いしで住みにくいでー!」と言っていたが、僕は、ママさんみたいな人間がいるというそれだけで、高知はとてもいい場所じゃないかと、そう思った。

ーー地元の方に生かされていると思っていた。けれども、本当は、四国というもっと大きなものによって僕は生かされているのかもしれない。良い出会いは、身体に1本の筋を通して、凛とさせてくれる。

この恩を次にまわしていかなければ、と思う。こういう暖かさの循環の輪の中に自分自身も入りたいと思いながら横になった。時刻は2:30をまわっていた。

【支出】飲食費120円、洗濯乾燥1100円

【歩行距離】31キロ

【参拝霊場】36

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【ふぉろーみー】