【四国遍路】もう、どうだっていいじゃないか【14日目】

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今、高知市内の安宿にいる。書かずにはいられない出会いがあった。うまく言葉には出来ないが、今、僕は、なんとも言えない多幸感に包まれている。既に2:30をまわっているというのにもかかわらず、未だに先ほどの出会いの余韻が残っている。
ーー少し落ち着いたので、今日1日を頭から振り返ってみる。

朝、雨音で目がさめる。昨日バッキバキに壊れて使い物にならなくなったスマホを修理するため、野宿した公園の四阿を後にし、32番の禅師峰寺へと向かう。ここでもスマホが使えないというだけで2.3回は同じ道を行ったり来たりした。これが本当の意味での遍路なんだなぁと嚙みしめる。

朝一で、まだ踏み慣らされていないぬかるんだ山道を注意して進みながら、禅師峰寺の参拝を済ました後、高知市内へと逆戻りする。

市内に入ると、一気に交通量が増える。路面電車が走っていることに驚いた。寒さに耐えながら、昨日電話しておいたカメラのキタムラに到着し、スマホの状態を見せると、やはり全交換になるらしく、補償にも入っていないため38000円ほどかかるらしい。基本的に修理に出すと初期化されるので、バックアップをとっておこうと、近くにあるあいほん屋さんという町の電気屋さんのような小さなお店に入る。

詳細は割愛するけれど、このお店の店主と、これまた近くにあったソフトバンクショップの店員さんと色々相談した結果、全交換は中止にし、あいほん屋さんでバッキバキに割れているディスプレイの交換だけお願いすることにした。約14000円である。結局それら全てを終える頃には16:30になってしまっていた。

時間的に今日これ以上の参拝は諦め、地元で有名の「ひろめ市場」というフードコートのような場所で昼食をとる。ゴールデン街のような猥雑な感じが、なんとも言えない風情を醸し出している。

まだ16時台だというのに、ここは赤羽かと疑うほど、呑んべえがたくさんいた。その中で、わかば(タバコの銘柄)が似合うおっちゃん2人に声をかけられ、鰹のたたきを肴にして、ビールを軽くひっかける。んまい。こういう雰囲気の場所は大好物である。スマホが修理中で写真を撮れなかったのでネットでの拾い物を載せておこうと思う。


ビールとツナサラダもお接待して頂いた。ありがとうごいます。

遅めの昼食を終えた後は、1週間ぶりの宿を探す。野宿しようと思えば出来ないこともなかったのだが、3日間我慢した洗濯と風呂と、雨でぐちょぐちょになった足、それら全てを一気に回復させたいと思い、近場の安宿をとった。


確かに値段相応でボロボロではあったが、歩き遍路にとってはそんなことはあまり関係ない。3日ぶりの風呂、洗濯、そして何より布団で寝られるだけで十分すぎるほど天国だ。

足の裏はシワシワである。


早急に洗濯と、シャワー浴びる。気持ちが良すぎる。これが娑婆に戻った気分か。伸びていた爪も切り、久しぶりに鏡で自分の顔をまじまじと見ると、顔が変わっているのを感じる。よく見たらホクロも増えている。メラニン異常で新しく出来たのだろうか。まぁさすがにこんな世捨て人のような生活をしていたら、出発前と見た目が何も変わらないということの方が稀なんだろう。

足の治療は勿論、この旅で初めて靴も洗った。靴から野菜が腐ったような酸性の臭いがしていたのだ。中に紙を詰め、ドライヤーも併用して乾かす。


色々とリセットをしているうちに、気づけば23時になってしまっていた。ダメ元で、24時までやっている日本一美味いと評判の餃子屋に向かうも、途中で断念し、結局これである。


高知まで来てココイチを食べた。閉店間際の店内で、1人、なんだか笑える。しかし悔しいけれど普通にうまい。ミーハーに高知の特産品を食べる必要はないのだ。男は黙ってココイチ1択である。寂しい。

その帰り道、一時は止んでいた雨がまたパラパラと降り出し、ああ、これはお大師さんが「早く帰って寝ろ」と言っているんだろうなと思いながら、一軒のお店の明かりに、ふと、足が止まる。究極的には「たまたま」はないと言うが、たまたま入ったそのお店で、本当に素敵な出会いがあったのである。

店内はこんな感じで、とても味のある小料理屋であった。


焼き鳥がメインぽかったが、もう閉店30分前ということで、飲み物しか出せないとのこと。軽く一杯やれるだけで十分だったので、ありがたく座らせて頂く。

店内には僕の他に30歳くらいの男女、3.40代くらいの常連さんっぽい男性がいた。とりあえず熱燗を頼み、歩き遍路をしていることを話すと、隣の男女で来ていた男性の方が話しかけてきた。

聞かれたのはもう何回目になるか分からない定番の「何でそんな若いのに遍路ry」である。軽く流そうとしていると、女性の方が「そんなこと聞くなや〜」とピシャリ。後々わかることだが、この男性の方は埼玉出身で、他の方は全員四国の方だった。これで確信したのだが、四国の人はお遍路さんに理由を聞くことはタブーということが分かっている。人生順風満帆にいっていれば、わざわざ四国を歩いて一周などしない。そんな人に対して、ろくにコミュニケーションもとれていない状態でする質問ではないのだ。

「話したくなったら話せばいいし、別に話さなくてもいい」四国の人は、きっとそういうスタンスなんだろうなと思った。

それから、言葉では上手く表現出来ないが、とてもとても暖かい時間が続いた。

大将が高知の人の県民性について面白い話をしていた。高知の人は、いつでも本気らしいのだ。例えば関東では社交辞令で「いつか飲みに行きましょう」ということがあるが、高知でのそのいつかは大体1週間以内だし、社交辞令という認識はなく、いつでも馬鹿正直に本気な人が多い、と言っていた。最高である。埼玉出身の男性が、「各地を転々としてきたけど高知にだけは捕まって住み込んじゃった」と言っていた理由も頷ける。

それから話に花が咲き、狭い店内でいつの間にか一体感が生まれているこのスナックのような感じが心地良かった。

結局、他のお客さんが帰った後も大将と女将さんと話し込んで、気付けば既に2:30を回っていた。なんだろう、高知にもう1つの家が出来た感じがした。お互いに名前さえも知らないし、あえて聞きもしない。「会いたければ、いつでも、また会いに来ればいい。店名は変わっても、お店はずっとここにある。」女将さんがそんな感じのことを言っていた。

話は変わるが、僕は20歳くらいの時にOCD(強迫性障害)というもので、精神科に通院していたことがある。代表的な症例としては、外から帰ってきたら手にばい菌が付いていると思って、血が出るまで手を洗い続けるだとか、家の鍵をかけ忘れたかも知れないと思って必要以上にずっと心配し続けるだとか、物の配置が左右均等でないと気が済まず、他のことは一切頭に入ってこないだとか、人それぞれ色々なものが挙げられる。

一見ただの心配性かと思われがちだが、OCDは本人が自分でも無意味なこと、不毛なことをやっているなとわかっていながらも、強迫的に襲ってくるその衝動を止められず、日常生活に支障を及ぼすまでに至る。

僕の場合、日常生活に支障が出るほどまでではないにしろ、「確認」という作業に悩まされたことがある。というか今でも軽く残っている。外出する時とか、お店から出る時などに、必要以上に忘れ物の確認をしたり、瑣末なことで頭がいっぱいになってしまうことが多々ある。それ故に、すごいお世話になった人と別れる時も、その人に感謝の気持ちを述べるよりも、その確認作業で頭がいっぱいになってしまい、結局モヤモヤした気持ちのまま別れることがこの旅でもたくさんあった。

このお店を出る時も、例によって軽くそれが出てしまい、「あー、またか」とモヤモヤした気持ちになった。しかし、だ。お店からの帰り道、不思議な感覚に包まれた。それは何というか、その症状が出たって、出なくたって「どうだっていいじゃないか」というものに近い気がした。それは、投げやりになるのではなく、瑣末なことには目を向けず、本当に大事な、奥の方にあるものに目を向けたい、向くことができるんだということを、強く感じさせるものであった。

OCDの対処療法には薬で強迫観念を抑える薬物療法と意識的に強迫観念を我慢する行動療法があるのだけれど、この時感じたこの感覚は、そのどちらでもない、自分のすべてを許容してくれるような、不思議なもので、ホテルについた後、僕の中から嬉し涙のような何かが溢れた。

「自分は自分で、そのままでいい」なんて言葉でいうとクサイし、使い古されている感があるけれど、それを聞くのと、体験することの間には、大きな、とても大きな隔たりがあるのだと、感じた。

明日はどんな出会いがあるのだろうかと思いながら、いつの間にか眠りに落ちていた。

【支出】宿代3000円、飲食費1200円、1167円

【歩行距離】?(スマホ故障のため)

【参拝霊場】32

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【ふぉろーみー】