【四国遍路】俗世で悟る【39日目】 

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朝日とともに目が覚めた数分後、久保さんの「朝ごはん食べましょう」の一声で身体を奮い立たせる。

牛乳、野菜ジュースにパン、野菜スープにフルーツと、身体に良さそうな朝食を食べるのは久しぶりな気がする。

食後のコーヒーまで頂いた後、身支度を整え、久保さん宅を後にする。

この離れに泊まらせて頂いた。

昨日打ち止めた本山寺まで車で巻き戻してもらう。もう結願は近いので、数日後にはまたすぐ連絡することになりそうということで、比較的あっさりとお別れした笑

4日連続でお接待続きの有り難い旅だった。久保さん本当にありがとうございます。
布団で寝ることができ、お腹も満たされ、人のエネルギーも頂き、体調は万全すぎるほどである。香川は本当にお疲れ様の県だなぁとしみじみと感じる。

足は軽いのでテクテク歩いているとすぐに弥谷寺に到着。

本堂へ行くにはこの108階段をはじめとし、少しばかり登らなければならない。個人的には辛さ0だったが、車で廻っている方は駐車場が階段の下にしかないため、ヒィヒィ悲鳴をあげながらなんだかんだ楽しそうにしていた。

本堂からの眺め。もうお腹いっぱい感のある景色である。

ここは大師堂が独特で、靴を脱いでお堂の中で読経をすることができた。大師堂の奥に入るとお大師さんが岩の中に祀られていた。洞窟にお堂をくっつけたような造りで、一種独特の雰囲気があり、先に参拝していた団体さんの中には涙を流している方も見られた。

弥谷寺を参拝後、国道沿いに「うどん」の看板が掲げられている定食屋を発見したので入る。ランチは500円でボリュームもなかなかあったが、うどんは駅ナカの立ち食いうどんとほぼ同じ味がした。讃岐のうどんも色々である。

ランチがちょうど運ばれてくる頃に、先ほど弥谷寺でもお会いした60代くらいの宿泊りの歩き遍路さんが入店してきた。僕と同じテーブルに座り、全共闘時代の学生運動やヒッピーなどの話を軽くする。あの時代は相当いろんな事件があったといえど7.8割はノンポリだったと記憶しているが、どうやらこのお遍路さんは残り2.3割の方だったらしい。

会計をする際、万札しかなく困っていたので、お接待でランチをご馳走した。次の曼荼羅寺まではすぐなので、その方と一緒に歩いていると、すぐに到着。

納経所の方がこれまで廻ったお寺の中で1番若く、雰囲気が乃木坂46の生駒ちゃんに似ているなーなどと娑婆の女性を見るように眺めていたら、一緒に歩いてきたお遍路さんが、先ほどのランチ代と助けてくれたお礼ということで、500円色を付けて1000円のお布施をして下さった。娑婆の女性を煩悩だらけで眺めている場合ではない。情けは人の為ならずと言うが、短いスパンで速攻返ってきた。その善意をありがたく全て頂戴する。

お寺の休憩所にかけてあったカレンダーにふと目が止まる。よい言葉だ。自分自身に集中すれば他人の事は気にならなくなる。

次の73番札所出釈迦寺は曼荼羅寺のすぐ裏にあった。

出釈迦寺で参拝後、このお寺の裏の山の上にある捨身ヶ嶽へと歩を進める。先日、冷えた飲み物をお接待していただいた愛媛の方から、「時間があれば登ってみるといいですよー」と言われていたのに何かビビッときたからである。

納経所の方にその旨を伝えると、ザックを預かってくれ、捨身ヶ嶽の山門先のお堂に杖を置いて行くといいとアドバイスを頂いた。

何を隠そう捨身ヶ嶽は勾配の急な岩肌を、鎖を掴みながら登坂しなければならないらしい。それこそザックを背負いながらでは後ろに比重がいってしまい、死ぬ確率が高まるのだ。

捨身ヶ嶽禅定に挑む僕を見送るために待っていてくれた先ほどの全共闘のおっさんに別れを告げ、白衣に菅笠、金剛杖という、いわゆるいつ死んでもいいスタイルで出釈迦寺裏の登り坂を登っていく。

勾配が結構急な道が続き、途中キジが目の前を横切るなど不思議な体験をしながら捨身ヶ嶽の山門に到着。

先ほどまでいた出釈迦寺とは打って変わって、人が誰もいない。静まり返っている。

こういう時は何故か無性に便意をもよおすものである。例によって僕も菊門をゴルゴ13に狙われている気配を察知し、奇跡的に近くにあったトイレへと駆けこむ。

ここのトイレはいわゆる洋式ボットンで、あのボットン特有の鼻が曲がるような匂いがしたが、スナイパーはすぐそこまで来ている。贅沢を言っている場合ではない。

ここを根城にしている蜘蛛さんや虫さんたちに「すいません、スナイパー来てるんで、、、使わせて下さい、すいません、、、」と恐縮しつつ挨拶をし、便器に座るやいなや

「ズキューーーーーーン!!!!!」

……間一髪のキジ撃ちだった。

ああ、さっき目の前をキジが横切ったのはこういうことだったのか。

――難敵であるゴルゴのキジ撃ちをなんとかかわし、今、下(シモ)の戦いを制した俺にとって下々の者が登る捨身ヶ嶽禅定を制することなど容易いことのように思う。さっきから俺は何を言っているのだろうか。

気を取り直して捨身ヶ嶽登攀口である。捨身ヶ嶽のお堂の脇にある警察予備隊時代の落書きが残された狭い通路を抜けると、ここにたどり着く。

「空海ウォーク!」と、新宿バスターミナル略して「バスタ!」並に安易に名付けられているが、岩肌は結構急である。ちなみに足腰が悪いなどの理由で登れない人のために、ここの脇に簡易の参拝場所も設けられている。

こんな感じで鎖をつたって登っていく。

確かに急な岩肌ではあったものの、今まで様々なへんろ道を経験してきたおかげか、正直へっちゃらだった。落ちたら死ぬのはどこでも一緒である。だからこそ慎重に、無心に、淡々と登る。途中60代くらいのご夫婦とすれ違った。さすがに健脚だなぁと思いつつも、年齢を言い訳にして始める前から自分の限界を決めないその姿勢に感服した。

「捨身ヶ嶽之聖地」つまりお大師さんが7才の時に世を憂い身投げした場所へとたどり着く。

眼下には先程ゴルゴに襲われたお堂付近と捨身ヶ嶽山門が一望できた。

ただここにきて、別に何を期待していたわけではないが、謎のコレジャナイ感を感じた。あっさり着いてしまったことが原因なのかは分からないが、納経所の方にそこから先はなにもないよと言われていたのにもかかわらず、山頂へと続く岩肌を、無意味と分かっていながら、まるで死に場所を探すかのごとく進んでいった。

大坂峠へと繋がる山頂へたどり着くと、そこは木々が茂り、見晴らしも悪く、本当に何もなかった。自分で草むらをかき分け、お大師さんが修行してそうな大きな石の上に立って「ここから落ちたら死ぬなー」と考えてみたり、自分でも何をしているのかわからない。

道が続いていたら進んでみたくなるのが僕の性である。そのまま進めば大坂峠へと繋がる道を軽く進むも、さすがにこれは引き返さないと大変なことになると欲望をぐっと抑え、来た道を引き返していく。

タヌキだかキツネだか分からない生き物が目の前を横切る。数十匹の色とりどりの蝶に囲まれる。そんな体験を山頂でしながら引き返していると、ふと、今までミクロで観ていた世界が、自分が、俯瞰で見えるような気がした。

そしてそれと同時に、以前スピリチュアル兄ちゃんが言っていた、「お大師さんは、本当は、世捨て人のような生活の中で悟るのではなく、俗世で悟らなければならないと言っていた」ということを思い出した。その言葉の情報源は確かではないにせよ、その言葉自体にはある種納得せざるをえないところがある。

結局のところ、今、お前が来るべき場所は、ここではないだろうと言われているような気がしたのだ。僕もそろそろ世捨ての世界ではなく、俗世に混じっていく時なのかもしれない。

そんなことを感じつつ、お大師さんが世を憂えた地にお札をお供えし、下山した。

結局、出釈迦寺に戻ってくる頃には2時間ほどが経過していた。納経所の方に荷物を預かっていただいていたお礼をし、捨身ヶ嶽の納経をしてもらうと、「なんか飲み物でも飲み」と納経代をタダにして頂いた。ありがとうございます。

今日は65番善通寺の辺りにある善根宿に泊まらせて頂こうと思っていたので、17時までに次の甲山寺は打っておきたい。先ほど感じたモヤモヤを抱えたまま、甲山寺へと早足で歩を進め、なんとか17時前に甲山寺に到着。

そして当初の予定通り、65番善通寺で予約をし、その近辺にある善根宿に今日は宿泊させていただくことに。

外観は普通の一軒家である。

大人数が来ても泊まれそうなくらいのスペースが有る善根宿だった。

キッチンも完備され

洗面台もあり

なんといっても風呂がある!お湯が出る!野宿遍路にとっては天国である。


ちょうどこの家の前でこの宿の管理をしている方とお会いし、この宿でのルールから、日本の歴史の話や自分が翻訳した本に至るまで様々な話をして頂いた。話し方に特徴がある人だったが、後から聞けば元教師とのこと。なるほど納得である。この日は僕の他に男性の先客が2名いて、1人はもう歩き遍路4回めのベテランさんともう一人は韓国から来た、素晴らしく日本語が流暢な方だった。

管理人の方の話が一通り終わった後、そのベテランさんと夕食の買い出しに一緒にいくことに。その道中、歴史認識の相違から、管理人の方を激しく非難する流れになっていたが、哲学に走り、日本の歴史に疎い僕はただただ相槌を打つことしか出来なかった。その流れで韓国の話になったが、この方はいわゆる嫌韓で、旅先で韓国人に足を怪我させられたかなんかをきっかけに、それ以来、韓国人が嫌いらしく、今日同泊者に韓国人がいるのもあまり好ましくないようだった。

歴史云々に関してはよく分からないことも多かったが、その件に関しては、この人アホなんじゃないかと素で思った。

国のマターと個人のマターは違う。そこを同一視すると負の連鎖が起こり、日本を嫌いな外国人がただただ増えていくだけではないのだろうか。

先日までお世話になっていた香川の久保さんは、女性の歩き遍路さんと外人さんには特に優先してお接待するようにしていると言っていた。

せっかく外国から日本に来てくれたのなら、おもてなしの文化を体感してもらい、日本はいい国であるという気持ちを母国に持ち帰って欲しいからだそうだ。

そのとおりだと思うし、国同士が微妙な関係であればこそ、個人レベルでのその気持ちが大事なのではないかと思う。

もう一度言うが国のマターと個人のマターは違うのだ。官で出来ないことは民で進めていくしかないように、国同士で解決できないことはその国の個人同士で解決していくしかないのかもしれない。

だからこそ、僕は、今日同泊の韓国人の方に少しでも四国は、日本は、いい国であったと感じて欲しいし、そう思って欲しいと思える自分で良かったと思う。

反面、国のマターと個人のマターがごっちゃになり、1人嫌な韓国人がいただけで、その他大勢の韓国人も同一視してしまっているこの方が、これから種々の問題の中心で考えていくことになるであろう若い人じゃなくてまだ良かったと思った。

【支出】飲食費350円、150円、300円

【歩行距離】30.1キロ

【参拝霊場】71.72.73.74