【四国遍路】自分の人生を生きる【前日】

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今夜、最近出来たという新宿のバスハブターミナル、バスタ新宿というとてつもなく安易なネーミングの場所から徳島へと夜行バスで出発する。

正直なところ、既に疲れている。

日頃の運動不足がたたってか、6.5キロの荷物を背負いながらの歩行だけで結構苦しい。これは先が思いやられる。

今日は約2年くらい伸ばしに伸ばした髪の毛を断髪しに新宿の美容室に向かった。外人のマンバンよろしく後ろに縛ったスタイルでかっこつけたふりの実際ぼーぼースタイルとも今日でお別れだ。

まずは形から。というわけではないけれど、気持ち的には、今、とても清々している。

きっと死国の名に恥じぬ試練が待っていると思うけど、その苦痛さえも、それを感じられること、それ自体に幸せを見出してしまいそうな気がする。

つまるところドMである。




ーー先ほど彼女に見送られながら徳島行きの夜行バスに乗り込んだ。たった今就寝モードになりバスの明かりが消えた。夜の高速を、街灯だけを頼りに走る、その風景を眺めるのは、なんだか好きだ。

彼女はというと、相変わらず優しくて、遍路が無事成功するようにと手製のお守りと、封筒に心付けまでしてくれた。女神か。これは何度も彼女に対しても言っていることで、このブログも見ているであろうから言いたいのだけれど、どうか、自分の時間を、大切にしてほしい。まぁ余計なお節介だろうけど。

少なくとも結婚願望があるなら僕と付き合っても現時点ではあまり意味がないし、1.2ヶ月に一回くらいのペースでしか会えていないことも不満があるだろうと思う。結局は決めるのは本人なのだから、本当に余計なお節介だろうけど、僕なんかに時間を割いてもらうことを、よく、申し訳なく思う。

じゃあ僕が変われば済む話かといえば、それは出来ないのだ。人はなかなか変われないし、僕にもその気はない。恋愛のモチベーションが低い。

女性の20代は貴重だ。その時間の一部を、僕に捧げてくれていることそれ自体に、僕は彼女に感謝したいと思う。

先ほど母から連続でコールが鳴った。電話に出てみればまるで悲鳴にも似た声、嗚咽を発している。うちの母は過保護だ。極度の心配性でもある。そんな母にいきなり息子が四国一周の旅に出ると事後報告で告げたら、そうなることは想像に難くない。

でも僕は今回あえてこの旅のことを隠していた。母の性格を知っているから、絶対に止められるだろうし、なにより行くまでの間余計な心配をかけることになる。結局、こういうことは事後報告が1番なのだ。行っちゃったもんはしょーがないのだ。行きたい気持ちは止められないのだ。

母の電話を聞き、鳴り止まないコールに嫌気がさして、一時着信拒否に設定した。数分後に姉から「警察に通報しちゃうかもだから連絡したげて」と、ラインが入った。僕は「落ち着いたら連絡してくれ」「電話がうるさくて眠れない」と少々ぶっきらぼうに返信した。

この時、僕の頭の中には【共依存】というワードが浮かんでいた。ダメな恋愛の典型例としてよくあげられるアレだ。お互いがお互いに依存し合ってしまうことにより、「◯◯なしでは生きられない」「◯◯は人生のすべて」というような状況に陥ってしまうことが、多々ある。

僕は、親子関係にも、この共依存の型が当てはまると思った。母にとって、僕は、人生のすべてなんだろう。母は、きっと、僕なしでは生きられないのであろう。逆に僕も、母が全てとは言わないまでも、その暖かさに甘えて、共依存の型を助長させていたフシがあったように思う。

でも、それではダメなんだ。自分の人生を、生きなければ。母は僕に帰ってきてほしいと嘆いた。でも、それでは、ダメなんだ。僕にとって今帰るという選択肢は、自分を、また、あの屍のような生活へと追いやることと同義だ。

自分の人生を生きなければいけないのだ。母も、僕も。共依存の心地よさを甘受していてはいけないのだ。そのぬかるみは、底がない沼だということを、改めて、理解しなければ、前には進めないのだと、強く、思った。

ああ、バスの中暇すぎてスマホからの投稿にもかかわらず、長文になってしまた。

明日からテクテク歩きます。

一歩一歩。淡々と。

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【ふぉろーみー】