旅は人生を変えない

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旅人に対してちょっと辛辣なことを言う。

「あなたが見たその土地での印象は表面的なものにすぎない。」

たしかに全体的に見れば日本人はいい人が多いから、差し入れをもらったり、泊めてもらったりと、よくしてもらうことも多い。

けれどその土地に根付く深い問題に対しては蚊帳の外なのが実際なところだ。

旅人は基本的にうつろう。

だから仕方のないことなのかもしれないけれど、ローカルの問題に本当に入っていきたいのなら、そこに腰を下ろさなくてはならない。

数日間の滞在では分からないし、そこに住む人と実際に話をしないと見えてこない部分が多い。

でもまぁ旅人自身は自分のやりたいことを追求しているのでしょうがないとも言える。

しかしお接待をしてもらった感謝の矛先はどこに向ければいいのか。それすらも分からないことが多い。

酷なことを言えば、ただなんとなく旅をしているだけではわからないのは当たり前なのだ。

旅をしているその間は、刹那的な快楽に溺れている状態だ。

問題意識を持つこと。疑問を抱くこと。不満や怒りを発露すること。

旅を終えた後の人生を変えるのであれば、これらがどうしたって必要になってくる。

旅をしてどこかの土地にしばらく滞在をしたことのある人なら否応なしに気づかされたと思う。

ローカルには問題が山積みで、とてもじゃないけど個人の力ではどうしようもない。

いや、ローカルというワードを使うとまだ抽象的だ。

あの土地には、あの施設には、あの店には、そこで生活するあの人には、解決すべき問題が確かにあった。

でも、僕らはそれらすべてには関われない。

旅をする。人と違ったことをする。何者かになる。有名になろうともがく。確かにそれも大事だ。個人の時代と言われて久しい。

しかし、その「何者か」を支えているのは、解決すべき問題を抱えた「何者か」だったりする。

何者かになろうとする人間は、そこを忘れてはならない。

僕が愛してやまないアーティストの「moroha」はこう言った。

ぶっ飛んでるやつなんて、なんにもすごくないと思うんだよね。

いかれてるやつなんか、なんにもすごくないと思うんだよね。

シドヴィシャスも、カートコバーンも、人生半ばで死んだヘタレじゃねえか。

俺たちは、まっとうはまっとうなりに、職場の上司も殴れずに、バイトのブッチもできずに、今日の昼飯代を考えて、目の前の人を好きだって言って、 告白するときは足震えて、 自分に可能性があんのか、できんのかどうか迷いながら、迷いながら迷いながら、迷った結果

踏み出す一歩が

俺はロックンロールだと

ヒップホップだと

パンクロックだと思うんだよね

――ぶっ飛んでなくていいぜ、いかれてなんかなくたっていいぜ、普通でいいんだ

真っ当は真っ当なりに、お前を全うしろよ

俺は、俺は全うするよ

普通でいい。

こういうmorohaも何者かになろうとしてもがいてるんだけどね。

何者かになろうとする圧倒的なエゴは、時に人を惹きつける。またこれも一つの真理。

単に旅をするだけでは人生は変わらない。旅と観光の違いが個人の変革だとするなら、なにか変わらないうちは、それは観光だ。

何者かになんかならなくていい。

ただ、誰かに深く寄り添える人間であるために、観光ではなく、旅がしたいんだと思う。

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【ふぉろーみー】