【四国遍路】結願【46日目】

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もはや目覚まし時計代わりとなった朝日で目が覚める。

昨日はこの公園の東屋の下に幕営をした。

朝公園に犬の散歩をしに来た人たちと軽く挨拶をしながら、最終日になるであろうお遍路さんを始める。

しばらく歩くとこれから向かう予定だった志度寺の奥の院の方が先に見えてくる。ちょうど朝のお勤めをしていたので、参加させていただく。この時に理趣経を初めて読んだ。

住職さんの話によると、ここは大和時代に日本部尊の子ども(霊子)が退治したという悪魚がおったそうで、悪魚のたたりを恐れて建てられたお堂に地蔵菩薩をお祀りしていたので、地蔵寺と言うらしい。

朝のお勤めに来ていた方と軽く談笑し、住職さんから頂いたお接待にエネルギーを貰い、再び歩き始める。

志度寺には程なく到着。

もう参拝するお寺もあと少しだなぁと思うと訳もなく長居してしまうが、まだ大窪寺に至るまでに最後の山越えである女体山が残っている。意外に悠長にしていられないと、志度寺を発つ。

次の目的地長尾寺に至るまでの道中でお遍路さん休憩所を見つける。

休憩所に腰をかけると、ここを管理している内柴さんという方がお接待で冷たいものや甘いものなどを用意してくれているのが目に入る。

この日もとても暑かった。また、生かされたなぁと感じる。

ありがたく頂戴し、ノートに置き書きを残し感謝しながら出立する。

途中にあった地蔵尊に寄り道しながら

87番長尾寺へと到着。

この日は人が全然いなかったので、納経所のおばちゃんと車で廻っているという年配のご夫婦としばらく話を交わす。

納経所の方によると、やはり結願が近いこのお寺を参拝に来る方はみな、良い顔をしているそうだ。おばちゃんに「歩きで廻っている人が来たらよく聞くんだけど、お遍路で1番感じたことってなあに」と、問われる。「たくさんありますけど、生かされている、ということですね。自分は生きてるつもりになっていたけれど本当はそんな人なんかいなくて、生かされているんだなぁと感じました。」と、答える。

「あと少し、頑張ってね!」とご夫婦の方とおばちゃんに送り出される。

これまでの道のりを思い返すと、長いとも短いとも感じず、淡々と歩いて行った結果、今、88番の大窪寺へと向かっているという感じがシックリくる。

結願寺である大窪寺へ向かう前に、歩き遍路さんは認定証を貰えるらしいお遍路交流サロンに寄り道をする。

場末のスナックにいそうな赤メッシュをいれた受付のおばちゃんに認定証を発行してもらう。7月を区切りとして1年の歩き遍路さんの人数を集計しているらしく、僕は2485号だった。大体1年に3000人ほどの方が歩いて四国を廻っているらしい。

認定証にも記載があるお遍路NPOの方もちょうど来ていたので軽くお話をした後、併設されていたお遍路資料館を見て回る。

昔の人が使っていた納め札。古くは米の俵を利用して作っていたらしい。

遍路を300周以上すると納経帳はこうなりますよ、の図。

猿でもわかる!十善戒!の図。

子供につけたい綺羅綺羅ネームランキング1位

無意識に出立するのを拒んでいるのか、遍路交流サロンでまったりとしていたら時刻はすでに16時になってしまっていた。

今日中に大窪寺で納経は出来そうにないが、まだ時間はあるので納経は明日朝一にすることとし、とりあえず大窪寺を目指すことに。

最後になる結願の道を進む。

大窪寺へと至るまでのルートはいくつかあるが、僕は女体山を旧遍路道を利用して越えるルートを選択した。要は1番歩きがいがあるルートである。

歩かせて頂けることに感謝しながら、一歩一歩、淡々と進む。

これは写真じゃあまり伝わらないかもしれないが、道ではなくて「崖」である。ここをよじ登っていかなくてはならない。

捨身ヶ岳を登った時はザックを預かっていてもらったが、今回はザックを背負いながらの登攀である。身体の重心が後ろにいかないように注意しながらよじ登る。

――登り切れば

女体山、山頂だ。


いろいろなことを感じ、いろいろなことを学んだ旅だった。自分を肯定出来た。人生を肯定出来た。言葉にしたいことはたくさんあった。けれど山頂からの眺めは、それさえもどうでもよくなるような、全てを包み込んでくれるような、そんな感じがした。

この瞬間の気持ちを忘れないでいたい、と、強く思う。人生を肯定できるときばかりではない。辛い気持ちになるときもあるだろうし、そっちの方が多いかもしれないけれど、でも、今、僕は知ってしまったんだ。人生を激しく肯定できる自分のこの気持ちを。そういう自分の存在を。だから、生きていこうと思う。この気持ちを忘れないように生きること、それがこれからの修行なんじゃないかなぁと思う。

大窪寺への道標が見える。

あぁ、いよいよだなと思う。考えないようにしても考えてしまうものだ。山門で合唱をする時、僕は何を思うのだろうか。涙は出るのだろうか。無意識にそんなことを考えながら歩を進める。あたりを見渡す。本堂が見える。

ん?

本堂が見える。

……ん!?

んん!?!?

――気付いたら着いてた( ◠‿◠ )

感動とか一切ない。「おっ、おぅ。つ、ついてたか、はい。」みたいな感じだ。

なんと遍路道が直接大窪寺の境内につながっていたため、歩いていたらいつの間にか結願していたのである。

山門さえもくぐってない。

しかも時刻はすでに17時を廻っているため、境内には人の姿はない。

……ぽつねん。

思い出したかのように写真を撮ろうと思い始める。しかし、誰も撮ってくれる人がいない。自撮り棒などあるわけがない。

仕方がないのでザックにiPhoneを固定してタイマーで撮ろうと画策する。

が、、、、ダメッ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ 圧倒的転倒‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎

苦節十数テイク目の写真がこちら


――頑張った。写真の撮り直しを1人でずっとしていたら暗くなってきた。俺は何をしているんだろうと笑えてくる。感動とは対極にある。まぁこれも俺らしくていいか、と思いながら、とりあえず参拝を済ませ、今日は大窪寺の下の東屋に野宿をしようと降りていく。

……誰かいる。

しかも、まさかのBBQをしている。

どういうことだと思いながらもルフィよろしく宴が好きなので飛び入り参加する。
話を聞けばこのお二人も歩き遍路をしていておっちゃんの方は少し前に結願を果たし、もう1人の30代くらいの方は僕と同じで先程結願をされたらしい。

最終日に歩き遍路仲間と共に野宿出来るとは思ってもなかったのでとても嬉しかった。

互いの遍路話に花を咲かせる。お二人は遍路中に知り合い、おっちゃんの方が先に結願したので、遍路中に酒もタバコも絶っていた30代のお遍路さんのために今日ここまでBBQセットを持参してきたという。

僕も深くは突っ込まなかったが、母の供養のため歩き始めたというこの兄ちゃんからは哀愁を帯びるような何かがあった。

始まりはみな何かを背負って歩き始める人も少なくない。そこに人それぞれ、いろんな出会いが加わり、十人十色の遍路物語が出来ていくのだろう。この兄ちゃんとおっちゃんの出会いは、きっととても素晴らしいものだったんだろうなぁというのがヒシヒシと伝わる。

楽しい宴も終わり、片付けを始める。明日この兄ちゃんはおっちゃんの車に乗っかり、お礼参りに行くという。僕も連絡しなければいけない人がたくさんいる。結願の実感はまだ湧かないけれど、とりあえずテントを張り、横になる。

――横になるがなかなか寝付けない。

本当は明日にしようと思っていた電話をかけようと思う。たくさんいるが、やはり初めは遍路中一切電話をしていなかった家族に伝えようと思った。

テントから出て近くのベンチに腰掛ける。

母に電話をかける。

1ヶ月半ぶりの母の声がする。

結願の報告をしていると、今更ながらじわじわと旅の終わりの実感が湧いてくる。

僕は、「2年弱くらい部屋でうだつのあがらなかった俺に対してさ、攻めるわけでもなく、普通に接してくれてありがとう。」と言った。

母は「何で攻めるの?みんな一生懸命生きてるじゃない。」と言った。

どうしようもなく涙が溢れた。 あなたのその優しさに、僕は助けられたんです。

遍路に行く前日にバスの中で、母との関係を恋愛における共依存を例に出して書いた。けれども電話越しの母は共依存なんか感じさせない、息子という存在を一歩引いた目線で見ているような、それでいて信頼してくれているような、そんな感覚を覚えた。

僕の方も、この旅を通して、母や家族という存在を俯瞰して見られるようになったと思う。

旅は、本人だけではなく、その周りの人間も、変えてしまう何かがあるのかもしれない。

それから、彼女や遍路中にお世話になった方々に連絡を入れる。たくさんの人たちが祝福してくれる中でやっと「俺は結願したのか!!!」と、思い始める。

電話を終えるとだいぶ遅い時間になっていた。

この旅で感じたことをたくさんブログに書いたけれど、1番大切なのは、これから、自分がどう生きていくかということだ。

たくさん頂いた恩を、どう次の人に廻していけるか。

もう怖いものはなくなった。自分のこころが創り出すあるはずのない恐怖心は蹴飛ばそう。道に迷ったら、また遍路に来ればいいのだから。

お遍路が、自分のセーフティネットになった。

だから、冒険に出ようと思う。

不可思議くんも言っていた、自分なりの世界征服をしようと思う。

――いい旅だった。

【支出】飲食費500円

【歩行距離】29.1キロ

【参拝霊場】86.87.88