【四国遍路】Rock’in グランパ!!【33日目】

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今日は総じてブログの日だった。

朝、シトシト雨が降る中、納経所が開く7時に泰山寺での参拝をすませる。この時点で既に6日分のブログが溜まっていたので、雨も降っていることだし、ここの通夜堂でまとめて書いていってしまうことにした。書きかけの記事も幾つかあったとは言っても6日分となると結構時間もかかる。結局全部書き終え、通夜堂を後にしたのは、なんとこの旅で一番遅い13時過ぎである笑。納経所が閉まるまであと4時間しかない。ちなみに泰山寺の通夜堂はトイレの真横に位置している。

中はこんな感じでドミトリーのようになっていた。ちなみにコンセントは残念ながら見当たらなかった。

泰山寺を発った後、もう今日は急いで歩くのはやめようと思った。最近は17時ギリギリに納経を済ませるためダッシュしていることが多かったが、たまには修行感ゼロの日があってもいい。というわけでお腹も空いたことだし、近くにあった中華料理屋に入る。この旅で初めての中華料理だが、何を隠そう僕は大の麻婆豆腐マニアである。素とか使わずに一から全て、中本のような激辛麻婆豆腐を手作りしていたものだ。そんなわけで迷わず麻婆豆腐定食を注文。

ドーーーーン!!!

予想外に凄いボリュームだった。皿からあふれんばかりの麻婆豆腐に唐揚げ、サラダ、半ラーメンまで付いてる。これで850円也。個人的に麻婆豆腐はご飯とセットで1つの料理だと思っているので、150円かかってしまうがご飯をお代わりした。このボリュームだったので、この旅で初めてラーメンスープを残した。

やっぱり麻婆豆腐はんまい。非常に幸せである。ごちそうさまでした。

食後の運動がてらしばらく歩くと、お遍路さんのお墓らしきものを見つける。今も昔ほどではないが毎年何人かは遍路中に行方不明になっていると聞く。発見されていない人の方が多いのだろう。他人事ではない。無縁仏と書いてあったので、しばらく手をあわせる。

栄福寺は泰山寺から3キロもないくらいの距離だったので、食後の運動気分ですぐに到着。
なんでもここの住職は映画にもなった「ボクは坊さん」の著者でもあるらしく、境内にそれ関連の取材記事やらなんやらがたくさん貼られていた。ここでボクは坊さんの本を買うと住職のサインが付いてくるらしい。笑う。サインはいらないが、お遍路関連のことも出てくるらしい映画なのでいつか見てみようとは思う。


栄福寺を後にした辺りで、下痢気味であることに気づく。ここまで快便が続いていたが、先ほど「麻婆豆腐を激辛にして下さい!」と意気揚々と頼んだのがアダとなったか。

下痢を患いながら仙遊寺へと至る勾配の急な坂道を登っていくと山門で仁王様が迎えてくれた。

この山門からまた少し坂を上った先に仙遊寺はある。

仙遊寺を参拝後、既に時刻は16:30だったので59番の国分寺は諦め、出来る限り国分寺に近い場所での野宿ポイントを探す。が、地元の人何人かに聞けどもなかなか見つからない。しょうがないので国分寺に電話をしてお寺の方に聞いてみると、この辺には何もなく、野宿する方はここから6キロほど先の道の駅に行く人が多いという。もし仮に道の駅にテントを張るとすると、往復12キロ無駄に歩くことになる。それは避けたかったので一縷の望みをかけ、地元の人に聞き込みを続ける。

その際たまたま声をかけた、1人のおじいさんがいた。コインランドリーの場所は教えてもらえたが、野宿出来る場所は知らないと言う。お礼を言いその場を立ち去ろうとすると、おじいさんが一言「あなたの人生観は何ですか?」と聞いてきた。とても難しい質問であり、一言で答えることはできなかった。

結論から言うと、その質問を皮切りにそのおじいさんと軽く小一時間は話し込んでしまった。多くの人が年寄りの長話に付き合わされるのは面倒くさいと思うかもしれないが、心配ご無用、このじいちゃん、若いのだ。詳細は割愛するが、自分の目的に向かって、しゃにむにひた走り、それについて話している時の目が、声が、雰囲気が、まるで同年代の人と夢を語り合っているような気分にさせてくれた。

立ち話に疲れたじいちゃんはガードレールを背もたれに地べたに座り込んだ。物忘れや、日々思いついたことを即座に記録できるようにとたくさん書き込んだメモ用紙を、ジップロック代わりに使っているのであろうゴミ袋から取り出して広げている。その姿は、それを横目に見ながら通り過ぎてゆくサラリーマンや学生には、関わりたくない人種だと思われたかもしれない。

けれども僕の目には、サイズの合っていないダボダボの背広に身を包んだその姿が、最高にロックに映った。人生は年齢で決まらない。年齢を言い訳にしたり、年齢で焦りを感じたりする瞬間、その人は相対主義の罠に陥る。絶対的な自分という軸が1本通っていれば、年齢は関係ない。この83歳の挑戦し続けるじいちゃんの姿勢を見せつけられたら、否応なく、そんなことを痛感させられた。

人生観に始まり哲学の話、宗教の話まで一通りした。連絡先と住所を交換すると、説明は難しいが、何やら自分のアイデンティティを形成しているようなものを送ってくれるらしい。話の途中でこのじいちゃんは「今、ここ」に生きねばならないということを繰り返し言っていた。その言葉の証明かどうかわからないが、話に夢中で僕が渡したお札を2秒でなくしていた。かわいい。

縁とは不思議なものだと思う。僕がこの道を通ったのも、そこでこのじいちゃんに声をかけたのも、このじいちゃんがいつもはタクシーで帰るところを、今日はたまたま歩いてみようと思い十数年ぶりにこの道に寄り道をしたのも、全ては巡り合わせなのではないかと思う。

別れ際、やたら感極まられ、猛烈なハグとともに夕日に向かってじいちゃんは去っていった。

結局野宿場所決まっとらんがな

と、思いつつも、僕の心はとても晴れやかだった。年齢は関係なく、人生は一生挑戦の物語だと思うことが出来たからだ。あのRock inグランパのように生きるために、そういう環境に自分を投げ打ってやりたいと、強く思った。

結局洗濯はやめ、「もう別にいいか」という気持ちで道の駅に向かうことにした。良い出会いがあるとその他のことはどうでも良くなるものだ。とは言いつつも時刻は19時をまわり、四国はだいぶ暗くなってくる。このままだと道の駅に着くのは21時を過ぎてしまうため、人生で初めてヒッチハイクをした。走り行く車に向かって指を立てるアレである。とりあえずダメ元で最初に通りかかった車に指を立てる。

ーー止まった。

ヒッチハイクしようと思った5秒後には見知らぬ人の車に乗っていた。この時ばかりは「四国はどれだけ俺を生かしたいんだよ!」と思わずにはいられなかった。

乗せていただいた方は、ちょうど子供をサッカーに送り届ける途中のママさんで、お遍路さんを乗せるのは初めてだと言う。理由を説明し道の駅に行きたい旨を告げると、国分寺の近くにテント張れる場所があるらしいとのこと。

ひとまず子供をサッカーに送り届けるため小学校に到着すると、他のママさん達も加わり、今夜の野宿場所談合みたいなのが始まる。すると国分寺の裏にあるゾウさん公園なる所にに張っても大丈夫という情報を頂き、あっさり野宿場所が決定した。道の駅に泊まっていたら往復12キロのロスになっていたのでとても助かる。ママさんコミュニティすげぇ。

その後、ゾウさん公園に送ってもらう途中、お腹は減っていないかということで、夕飯を近くの中華料理屋でお接待して頂く。ここでも迷わず麻婆豆腐定食を頼んだ。至れり尽くせりである。話を聞けばこの女性はシングルマザーで、週に1、2回ほどキャバでも働いているらしい。色々な話をしつつ飯を食べ終え、ゾウさん公園まで送って頂く。

お腹も満たされた。今日もいい1日だった。四国は暖かいなぁと感慨深くなりながら眠りにつく。
【支出】飲食費1000円

【歩行距離】14.5キロ

【参拝霊場】56.57.58

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【ふぉろーみー】