重松清の疾走を読んだので今日はもう何もできない

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鼻の頭がツーンとして、何度もくしゃみが出そうになった。

涙をこらえる防衛本能だ。

小説が現代の隠喩として僕らに何かを教えてくれる案内人だとするなら、この物語の案内人は純粋すぎるがゆえの狂気を孕んでいる。

重松清の作品は流星ワゴンだけ読んだことがあった。生きる希望も死ぬほどの絶望もなく、淡々と今をこなしていくしかないという読後感にしばしば打ちひしがれた記憶がある。

そしてこの疾走だ。

結論から言えば、これは読むべきではない。

――劇薬だからだ。

この物語に関してはあまり語りたくはない。これは”にんげん”の話であり、それはあまりに残酷で、書評などてんで出来るものではないのだ。

流星ワゴンもそうだったが重松清の作品が示す希望は限りなくあわい。

あわすぎて、すぐに溶けて無くなってしまいそうだ。

そしてそれとは逆に絶望の相対量は計り知れないほど降り注いでくる。

この物語も、一言でまとめるなら悲しいひとりの少年の話となるだろうか。

ただそれだけだと思う人もいるだろう。

物語は言葉を紡ぐが、明確な答えは紡がない。

極論、この物語から得られるものは何もないのかもしれない。

けれど、僕はこの物語を通して”にんげん”を見た。

その皮膚と肉を剥いだ下に蠢くドロドロとしたにんげん。それじたいを見たのだ。

だからこれは書評でも感想でもない。

重松清が紡いだ言葉から生まれたひとりのにんげん。シュウジ。お前に宛てた手紙だ。

―――――――――――――――

苦しい。苦しい。こんなにも胸が締め付けられることはあるのか。読み終わった後に誰かの顔を思い浮かべることはあるのか。苦しい。とても苦しいんだ。にんげんの。ひとりのにんげんの皮膚と肉を剥いだ後に蠢くように湧き上がってくるドロドロとしたものを魅せつけられるのはとても苦しいのだ。誰もがひとりで生まれてくる。その”ひとり”が”ひとり”と結びついてそしてまた散り散りになり、寄せては返す波のように、その営みは営々と紡ぎ続けられるのだ。その波の終わりに”ひとり”の”にんげん”としてして打ち上げられたおまえ。おまえの物語はどんなに哀しく、苦しく、儚いものか。俺はとても苦しかった。でも俺は見届けた。淡々と装飾を抑えた文体で語られるおまえの物語を。その果てるともしれない煉獄のような物語が俺に何を気付かせてくれたのか。分からない。そんなものなどハナからないのかもしれない。けれど、ひとりのにんげんがそこにいた、ということを、また別のひとりが知っている。見ている。覚えている。俺はおまえの物語を知った。重松清という作家が紡ぐ言葉を通して知った。俺もまたお前と同じくひとりだ。にんげんはきっと誰もがひとりなんだと思う。ひとりとひとり。その集合体が世界なんだ。でもそれをよく忘れそうになるんだ。シュウジ。おまえの物語も記憶と共にいつか風化してしまうのかもしれない。鮮烈に魅せられたその冷たくたぎる炎のようなドロドロも、いつかは忘れていくかもしれない。自分とは別の”ひとり”と繋がりたい。その思いを一心に疾走し続けたおまえの物語を、俺はいつか記憶の片隅に追いやってしまうのかもしれない。けれど、俺はお前のドロドロを見たこと全く後悔していない。おまえが俺の心に深く刻み込んだものはくさびとなって俺の奥深くに残り続けるだろう。時間がそれを覆い隠したとしても、厳としてそこにそれはあり続けるだろう。また1日が始まる。すれ違うひとりが別のひとりとくっつく。ひとつのふたりになる。そしてまたふたつのひとりになる。それを繰り返しながら世界は廻る。そうだろう、シュウジ。俺は今日もひとりのにんげんとして一日を生き抜くよ。シュウジ。ありがとう。

―――――――――――――――

僕がシュウジのように暗い穴ぼこのような眼をしていた時のことだ。

飯を胃に入れていると、ふとどうしようもなく気持ち悪くなる時がある。

何もしていない自分には価値がなく、そんな自分を生かすために何かの生命を摂取することに対して、唐突にとてつもない嫌悪感を抱く。

それは突然やってきて、そうなるともう食事が喉を通らない。

無理やり食べても美味しいものを美味しいと思えないばかりか、とても悲しくなってくる。

なんで自分は、俺は、誰かと楽しく食事することさえできないのか。どうして。どうして。どうして。

「壊れて、砕けて、カケラになって散らばってしまったひとだけを置き去りにして」

「無言でトーストを口一杯にほお張って、ときどき、その先にどうすればいいのか忘れてしまったみたいに、一度も噛むことなく、トーストを皿に吐き出してしまう」

重松清のにんげんを深くえぐるような描写たちは、ひとりひとりにあるであろう、心奥に覆い隠していた部分を少なからずむき出しにする。

だから劇薬なのだ。万人に勧められる物語ではない。

けれどこの物語が紡ぐ言葉たちに、途中何度も鼻の頭がツーンとした。

くしゃみが出そうになった。

物語が終わる。本を閉じる。虚空を掴むような眼差しで一点を見つめる。

かつて暗い穴ぼこのような目をしていた僕の眼は、くしゃみでは誤魔化しきれないほどの涙でいっぱいだった。

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【ふぉろーみー】