【黒歴史】断食中に意識が朦朧となって発狂して書いたポエム晒す

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タイトル通りです。

いってみましょう。

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昨日ほどエネルギーの枯渇を感じない。お湯が非常に美味しく感じられる。

雨が降っている。すべてを洗い流してくれそうな雨が。その音を静かに聞く。夜の雨はどこか悲しみを内包しているから好きだが、朝の雨はただただ憂鬱だ。足を踏み出す先が暗く感じられるほどに。

限りある人生だ。だからこそ幸せにハッピーな時間を出来る限り送りたいという人は多い。現に書店を見渡せば、まるでそれが人生における正解であるかのようにたくさん書籍が陳列されている。

けれど、僕は、そうは思わない。

個人が幸せに生きることは大いに賛同する。しかし、悲しみや苦しみの中からでしか生まれえないドロドロがある。身体の皮膚や肉が剥がれ、むき出しになった心はひたすら横殴りの雨に打たれる。そうして静かに、けれども着実に自分の中に退却していった心が魅せる一片のドロドロ。生き物の内臓のように静かに蠢くそれを引っ張り出し、晒す、その瞬間。

――幸福とは対極にあるそれは、あまりにもおぼろげで、儚く、悲しみを孕んでいる。しかし一方で人間を強烈に惹きつける。僕はそんなドロドロを垣間見たいのだ。食べたいのだ。幸せな人間には到底孕ませることのできないそのドロドロを。

人生に一発逆転がないように、ドロドロを魅せつけたところで個人の人生には何ら変化は起きないかもしれない。ただ、それを遠い炎のような熱を帯びた視線で見てくれている人は必ずいる。その視線に溶かされる。自分がなくなっていくように。たった一人でもいい。そんな人がいるならば、ほんの少しだけ、心は、軽くなる。そして生きてさえいれば、無間地獄のように思える苦しみそれ自体が、誰かに施せるものへと昇華しえる。

幸せな人生なんてクソくらえだ。たとえそれが性格だとしても、僕は苦しみたい。苦しむ自分に酔っていたいのだ。稚拙な考えだと揶揄されようとも、僕は、その悲哀の中にこそ宿るドロドロを食らって生きていきたいのだ。

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【ふぉろーみー】