【四国遍路】どれだけ人に迷惑をかけられるか【13日目】

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通夜堂の朝が来た。通夜堂は宿坊とは違うので、お寺に泊まるといっても、お勤めなどは特にない。昨日はチョコしか食べていないがそれよりもお風呂と洗濯をしたい衝動の方が強い。

そんなことを思いながら7:30頃お寺を出発。今日は晴天の割には適度に風もあり涼しい。絶好の遍路日和だ。

心地よい風を浴びながら、本日最初の霊場である、29番国分寺に到着。


このお寺で同じペースなのか、再び東京都の区切り打ちお遍路さんと再会。今日で4日連続である。どちらからともなく、一緒に歩きはじめる。

次の30番札所までのこの道で、タヌキのようなアライグマのような動物が血を流して倒れていた。


近づいてみても動かない。軽く痙攣もしている。おそらく車にはねられたのだろう。対処しあぐねていると、後ろから車がやってくる。動物がいることを知らせようと思った矢先、そのタヌキのような生き物はムクッと立ち上がり、足早に草むらの方へと逃げていった。ここまでほんの数十秒の出来事である。

人間が近づいても起きあがれないほどには怪我を負っていたのだろう。安否を心配しながらも、結局どうすることもできず、もやもやした気持ちを引きずりながら順路を進んでいく。

そして、30番の善楽寺に到着。
このお寺を最後に、東京都からのお遍路さんは、高知市内の方へ観光に行き、そして今夜飛行機で関東に戻るらしい。


何かお接待をしてあげたかったものの、渡せるものが板チョコくらいしかなかったため、気持ちとしてそれをお接待させて頂き、市内へ向かう途中まで一緒に歩く。

そしてこの場所で、なんだかんだ四日間一緒に歩いた区切りうちのお遍路さんと別れた。

最後にもっとちゃんとしたお接待をしてあげたかったなぁとか、別れ際に金剛杖を並べたオシャレ記念写真でも一緒に撮っておけばよかったなぁとか色々と別れた後に思うことがあったが、別にインスタをやっているわけではない。インスタに投稿するためだけに鎌倉旅行に行く女子ではないのだ。それに不完全なのが人間である。結局のところ、それでよかったのだ。

人と出会い、人と話すことによって、新たな自分と出会う。この方との出会いによって、僕は人に何かをお接待をしてあげたいという、おもてなしの気持ちを持っている自分がいるということを知った。人と出会えば、いつか別れは来るが、その人と出会ったことにより、新たに発見した自分は、ずっと自分の心の内に残る。縁とは不思議なものである。

だからこそ人と出会っていきたい、人と出会うことで、自分の内に眠る新たな自分を発見していきたい。世界は広いけれど、自分の内はもっと広い。今、ここにいる自分は、色んな人との出会いの複合体で出来ているけれど、まだ知らない自分も、たくさんいるはずだ。

他人のことなど分からないが、自分のことも完全には分からない。自分とは、自分で規定するものではなく、ましては他人から「君はこういう人間だ」と規定されるものでもなく、人との出会いを通して、やんわりと、そしてじっくりと、醸成されていくものなのだと思う。

「人生即ち遍路」というが、遍路が「人」であるのならば、人生もまた「人を生きる」ことである。確かに、インターネットを使えば資本主義の仕組みを利用して、人と会わずに、賢く生きることも可能になった。そして今は多様性を認めるという考え方のもと「そんな生き方もあるよね」という中立性が保たれることに重きを置かれがちな風潮を感じるが、僕は、やはり人と会わねば、五感で感じなければ、人を生きているとは言えないのではないかと、声を大にして叫びたい。

ただ、もしもいつか未来、インターネットからの情報が、完全にリアルと同等か、もしくはそれを超えるような域まで達した場合にはその限りではないと思う。そして、僕が生きている間には無理かもしれないが、そんな未来はまた面白そうだなぁとも思ったりする。

しかし、今は未来ではない。僕はしっかりと人と会って、この四国遍路を完遂させたいと、そう、強く思った。

そんなことをぼんやりと考えながら31番の竹林寺に到着。

このお寺で事件が起こる。

手を清め、鐘楼をついた後、意気揚々と階段を降りたまさにその時、スマホも一緒に意気揚々とポケットから飛び出したわけである。

ーーバッキバキにKOされていた。合掌。

無論、数分パニクった。スマホが無ければブログは更新できないし、地図は見れないし、電話はかけれないし、これはもしかしたら生命の危機なのではないかとも思った。

しかし、数分の逡巡の後、同時にふと思った。「ああ、これはお大師さんの試練なんだなぁ」と。文明の利器の最たる存在であるスマホなんか使わずに、この四国遍路を達成してみなさい、と。そう思った瞬間には、僕の心は既に謎のワクワク感に包まれ、境内で1人爆笑していた。もう、どうにでもなれ!という心境である。僕を生かすも殺すも、四国次第だ。僕はそれに従うだけだ。

結局のところ、この問題はあっさりと解決してしまう。スマホは使わないとしても、やはり緊急時の安否確認用に利用できる状態であった方が心強い。そんなわけで、近くの売店の店員さんに事情を説明し、電話を貸して頂きソフトバンクショップに電話をすると、高知県では、高知市内にあるカメラのキタムラという店でのみ、修理が可能とのこと。

たまたま今市内に近いところにいる事に、何かの縁を感じながら、カメラのキタムラに電話をし、事情を説明すると、本体交換で約38000円ほどかかるらしい。所要時間は30分と短い。来店予約をした後、マップアプリが使えないので、お店のおっちゃんに明日までのルート案を相談すると、アプリよりも素晴らしい行程を立てて頂き、ついでに市内の美味しいお店まで教えてくれるという食べログ機能も付いていた。

スマホをなくして数分後だったが、この時点で既に、スマホは便利すぎる代物だなぁと思うとともに、おそらく、スマホを使うと、四国遍路の難易度がイージーモードになってしまうな、と思った。ゲームで例えるなら、スマホは攻略本のようなものである。地図アプリは最短ルートを距離と時間とともに教えてくれ、食べログを使えば味が良い店が分かり、トイレやコンビニ、評判の良い宿の情報もすぐ分かる。でも、そこまで予め教えられるゲームをプレイすることに、何の面白みがあるのだろうか。物事は、先が見えないからこそワクワクし、心が踊るのである。

実際、31番の竹林寺を発った後、32番近辺の野宿場所に着くまでに、同じ道を何回も通ってしまった。スマホを使わないだけで、四国遍路の難易度はハードモードになる。いや、むしろこれこそが本来の四国遍路なのかもしれない。

結局、予定していた野宿場所までさえも、1人ではたどり着くことができず、たまたま近くをウォーキングしていたおばあちゃん2人組に道を聞くと、親切にもその場所付近まで一緒に歩いてくれることになった。

スマホがあれば何でも1人で出来るような、やっているような錯覚になるが、一度それが使えなくなれば、必然的に人に迷惑をかける頻度も多くなる。多くの人が、人に迷惑をかけまいと、スマホやお金を使ってそれを回避したがるが、元を正せば、人は生きているだけで、何かしら迷惑をかけている生き物なのである。だったらこの際、「どれだけ人に迷惑をかけられるか」をテーマにするべきなのではないかと思った。

人に迷惑をかけるということは、必然的に、人と接しなければいけないということである。僕は何度も「遍路は人」と口に出していながら、人に迷惑をかけるということに関しては、億劫になっていた。でも、本当は、真逆なのだと思う。

恥をかこう、恥をかこう、どんどん恥をかこう。傷つく前に傷つくことをやめよう。そうして、20代のうちにたくさんの恩を頂き、30代になったら、それを返すのではなく、次に回していこう。

自分は、いったいどれだけの迷惑をかけることができるのだろうか。そんなことを思いながら、トンネル近くの公園で野宿をした。
【支出】飲食費500円、100円、360円

【歩行距離】26.9キロ

【参拝霊場】29.30.31

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