【四国遍路】連鎖【28日目】

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いつものように日の出とともに5時に目が覚める。そのまま寝袋にくるまっていると30分後には泊めて頂いた兄ちゃん(藤田さん)がパンと牛乳を持ってきてくれた。いつもなら絶対二度寝しているが、促されるまま顔を洗いトイレを済ませたおかげで、すんなりと活動を開始することができ、6時には家を発った。

嬉しいことに藤田さんにその後も自転車で途中まで見送って頂き、お接待でビワも貰う。別れ際お礼を言い、去っていく背中を「たぶんあの人は振り返らないだろうなぁ」と思って見ていると、予想に反して振り返ったので手をブンブン振った。これは意外だった。

藤田さんと別れ、しばらく歩いていると四国には珍しいセブンを発見したので思わず撮ってしまった。四国のコンビニはほぼほぼローソンかサークルKしかない。

昨日お家に泊めていただいていなかった場合の野宿候補地だった神南堂休憩所に立ち寄る。ここは側の建設会社の方が管理してくださっている休憩所で、一声かければ、自分で薪を焚いてなんと五右衛門風呂にまで入れる。野宿遍路の方には願ったり叶ったりの場所だ。

この休憩所で本日初の歩き遍路さんと出会い、軽く談笑をしていると、お接待でみかんを頂く。愛媛に入ると恒例になる、お遍路さん同士のみかんの交換しあいである。ありがたく頂き、休憩所を先に発つ。

内子に向かう途中の商店街は大洲と同様、昔ながらの風情が残る建物群が保存されている区域であった。

しかし暑い。立っているだけで体力がどんどん削られていく。足腰は強くなり、痛みにも慣れても、暑さにだけは慣れない。しかも何もない国道沿いの道である。気晴らしになるような景色もない。こういう時が地味に辛い。

暑さに打ちひしがれ、ヘロヘロになりながら歩いていると、一台の車が停まり中のおっちゃんから1本のお茶のお接待を頂く。

以前、相対主義に陥らないよう注意して言葉を選ぼうと思ったばかりだが、この時僕は相対主義的な行動を取ってしまった。お札を渡さなかったのだ。渡すのを忘れていたわけではない。190gのお茶1本だし、わざわざザックを降ろしてお札を取り出すのが億劫だと思ってしまったのだ。お接待に優劣をつけてはならないのに、だ。

お接待とはその内容云々よりも、わざわざ時間を割いて、自分のためにお接待をしてくれたというその行為自体が非常に尊いものであると思う。去り際にやっぱり渡そうと思って手を挙げて「待って!」のジェスチャーをしたものの、それが別れの挨拶だととられ、そのままおじちゃんは走り去って行った。

今僕は、自分を恥じている。自分が「お接待慣れ」してしまい、有り難いものであるという認識が薄れてしまっていた。しかしこの出来事は、僕に改めてお接待というものの有り難さを再認識させてくれることになった。もう僕はお札を渡し忘れるということはないであろう。お札を渡すことに億劫になることはないであろう。全ての事に意味があると考えるならば、この出会いは僕にこう考えさせるための必然的な出会いだったのではないかと思う。

お札を渡せなかったことと、改めてお接待について考えさせてくれたことも含め、今ここであのおっちゃんにお礼を言いたいと思う。「ありがとうございます。」

遍路をしていると当たり前のことが当たり前ではなく、とても有り難いものであるということを常々思うが、遍路を終えた後も、有り難いものを有り難いと思える心を恒常的に持ち続けること、それこそが一番難しく、人生が修行たる所以なのではないかと思った。
そして今日はこれまでほとんど人に出会うことすらなかったのだが、不思議なことに、お接待の有り難みを再認識した後、たくさんのお接待に恵まれる。

軽トラのおっちゃんにコーラとコーヒーを頂き、何か食べるものはないかと入ったたばこ屋さんでは、ポテトチップスを1袋いただいた。先程のことがあったばかりだ、お札を渡すのを億劫になったり、忘れたりはしない。きちんとお礼とともに気持ちを込めてお札を渡させていただいた。

しっかりと真心込めて感謝しお札を渡すと、こちらも清々しい気持ちになる。暑さも和らぎ、俄然軽快に歩を進めて、昨日藤田さんから教えていただいた野宿ができる大師堂がある近くの道の駅に到着する。

ここで何か食べるものを買おうとしたが、時刻はすでに6時を回っていたため全て閉まっていた。仕方がなく大師堂の鍵をもらえる小番食堂が開いていることを祈って向かう、、、が、、、ダメッッッッ!!!この旅で何度目かになる圧倒的閉店!!!!!

辺りを見渡しても、内子、マジなんもねぇ……状態である。

しかしもうこういう状況には慣れっこだ。こうなったら地元の人に聞くのが1番早い。というわけで唯一空いていた酒屋さんに入り、お店の人に聞くと、この辺はパンも何もないよ!とのこと。

……絶望である。そんな僕を見かねてか、お店のお母さんが親切にも他のお店にわざわざ電話をかけて何かないか聞いてくれていた。が、、、全滅である。そこで最後の望みをかけて少し離れたところにあるスーパーに車で乗せて行ってもらえることになった。もうここまでして頂いてスーパーが閉まっていたら、「これは今日飯はしょうがないな」と思っていると、予想的中というか、普通に閉まっていた。わざわざ親切にして頂いたお母さんにお礼を言い「これはこの気持ちで腹を満たすかぁ!」と笑っていると「しょうがないけん、うちでおにぎり握ったげる!!」とお母さん。


!!!!!!
い、いぃんですかあぁああああ!?!?!

女神である。空腹という名の戦場に舞い降りた女神である。

更には、ここまでして頂いたし個人的に普通にビールが飲みたいと思ったので缶ビールを1本買おうとすると「ここでお金は出さんといて!」と、無料でビールを1本をお接待していただいた。まさに至れり尽くせりである。

重ね重ね感謝し、小山酒店をあとにする。もう既にお母さんの暖かさで、気持ち的にはお腹いっぱいである。

小番食堂から借りた鍵で大師堂に入ると、お大師さんが迎えてくれた。今夜はここでお大師さんと2人っきりの夜になりそうだ。

読経セットが一通り揃っていたので、これはやらいでかぁ!ということで、しばし読経をする。

そして先ほどお母さんから頂いた待望の晩御飯である。おにぎりにビール、さらにはポテトサラダも付けていただいていて、お腹が満たされ心も丸くなった。今夜もぐっすり眠れそうである。

縁とは不思議なものである。今日、1本のお茶の件から改めてお接待の有り難さに気付くことができた。そしてその後に続いたお接待の数々は、もしかしたら、必然的なことだったのかもしれないし、そう気付いたことで見える世界が変わり、自分が呼び込んだものなのかもしれない。

とにかく、人生に無駄なことなど何1つない。それを自分がどう解釈し、どう感じられるか。1つ1つのことを、じっくりと噛み締めて、生きていきたい。

【支出】470円、140円、130円

【歩行距離】38.3キロ
【参拝霊場】なし

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