【秋葉原事件 加藤智大の軌跡】から考える

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先日の記事で、パラダイムシフトおこったような価値あるコンテンツを紹介しますといったんですが、

その前に、先ほど読み終えた表題の書籍が、

どうにも自分の思考を書いておかないとモヤモヤしてしょうがないのでここに記しておきたいと思う。

この本は、2008年6月8日に秋葉原の歩行者天国で起こった、

無差別通り魔事件の犯人、加藤智大被告に関して、

彼のバックボーンや、どうして事件を起こすに至ったのかの経緯、

アイデンティティの形成過程などを克明に記したルポルタージュ。

この事件の当日は、僕も実際に秋葉原にいたので、

当時の様子などは今でも克明に脳裏に焼き付いている。

読後感は、まぁ実際に起こった事件を題材にしているので予想はしていたのだが、

本当誰も救われない流れで、ナーバスな気持ちになった。

読書中も、文章自体は平易な文言で書かれているものの、

なんか文字を追う作業が、凄く重くのしかかってくるような得も言われぬ不思議な感覚に陥った。

で、この本を読んで個人的に一番感じたことは、

この事件の犯人、加藤智大のような人間は、潜在的に今の日本に数多く存在しているのだろうということ。

加藤は追い詰められた最後の選択を、通り魔という蛮行にでたが、

それはもしかしたら他のなにか、例えば自殺であったのかもしれない。

現に、今って「若年層の自殺者数が年々増加していて~~」みたいなことがニュースで流れてるのをよく耳にする。

そこまで追い詰められてしまう人が多数いる背景って、何なんだろう。ちょっと考えてみた。

原因の一つは、今は旧世代的なパラダイムと、新世代的なパラダイムの

過渡期にあることが上げられるのではないかと思う。

旧世代的なパラダイムを持つ人間の多くは40代以上。

すなわち親や、職場での上司的な立ち位置に当たる人だ。

こういう人間が、自分が経験してきた人生に照らし合わせて、いわゆる“最近の若者”に提言する。

頑張ればなんとかなるとかの根性論や、全ての事象は自分が招いた結果という自己責任論の押し付け、

確かに一億総中流なんて言葉があった時代には、頑張ればなんとかなったのかもしれないが、

今はもう時代が違いすぎるのでは?と素直に思う。

上記で上げたようなことが原因の一つであるとするのなら、解決するための1つのキーワードは

【多様性の尊重】だと思う。

自分の経験を鑑みて、他者にも自己責任論を押し付けるのではなく、

多様性を認めてあげられる社会、そして悩んでいるようなら、解決策ではなく、

あくまで選択肢を提示してあげられるような人間が増えれば少しは変わるのではないかと思う。

それを踏まえた上で加藤について考えると、加藤には欠落していたものが2つあると思った。

1.自己との対話

2.自分を認め、肯定してあげること

上記2点だ。

より重要なのは前者のほうだと思う。

多くの人は普通、ネットよりリアルに、本音だったり本心を求めるのであろうが、加藤は違っていた。

この本では、加藤は【リアル=建前 ネット=本音】という方程式を持っていると書かれていた。

つまり、普通の価値観とは真逆。

ネットこそ、本当の自己をさらけ出せる場所と定義していたという。

ネットにリアルよりもリアルを求めていた加藤。

しかし、数少ない友人の存在によって、リアルにも本音は存在することは理解していたことも明言されている。

だが、加藤はそれからは目を背けた。

そして再び自分の殻の中に閉じこもり、リアルでも本音で語り合える存在はいるのにもかかわらず

ネットに傾倒してしまう。

なぜだろう?

僕は思うに自己と対話することを疎かにしたためだと思う。

もし、加藤に居場所や素晴らしい選択肢を与えてくれるような人がリアルに現れたとしても、

加藤自身が【リアル=建前】と世界を固定している限りは、道は開けないのではないだろうか。

ほんの少しの時間でもいいんだ。

加藤自身が自分の気持に正直に向き合い、リアルに本音を求める姿勢を持つことが出来たのなら、

現実は変わっていたのかもしれない、と思った……。

勿論、加藤が起こした事件は、死者7名・負傷者10名という決して許されざることだ。

だが、潜在的な「加藤予備軍」とでも言うような人間を表出させないためには、

周囲の人間は物事を単一化せずに、それに対してじっくりと寄り添って考えていかない限りは、

この負の連鎖は続いていくのではないかとも思った。

著者の中島岳志さんも物事を単純化することについては、

以下のように本書で警鐘を鳴らしている。

「わかりやすさとは、単純化することではない。

単純化された事象はには必ず論理の飛躍・ごまかしが存在する。

わかりやすさとは、物事をじっくりと見つめ、解きほぐしていくことからしか生まれない。」

こーゆー事件って風化してしまいがちだけど、

やっぱり忘れちゃいけんよなーと。

ひきこもりニートにというか、現代を生きる多くの人に共通するポイントがあるし、

明日は我が身じゃないけど、どこでボタンを掛け違って、加藤予備軍になるか分からない。

そういう意味では、少しでも多くの人に読んで欲しい書籍でありました。

興味があればチェックしてみてください。

【秋葉原事件 加藤智大の軌跡】

ではではー