以下、自分の脳内整理のために書き綴ってみる。
・読むべきではないという論拠
1 著者の自己正当化のための著書である
→自己正当化の著書であるかどうかは、そもそも本を読まないと判断ができないため、この論拠は矛盾している
2 遺族が出版差止めを求めている
→遺族の出版差止め理由は何か?仮に遺族の同意が得られているのであれば、本書を読むことに倫理的葛藤は生じないのか
3 著者に印税が入る
→無料公開であるのならばOKか?
主に読むこと自体に抵抗を生じさせるのは、2と3の論拠であろう。
卑近な例を出すと、本件はリベンジポルノの例に似ている。有名女優のリベンジポルノがネットに公開された場合、多くの人が興味をそそられるのは間違いないであろう。
しかし、女優本人がネットに流出したという事実を確認しているのであれば、間違いなく削除を求めるであろうし、閲覧をしないよう呼びかけるのは自明である。
ここで見る側の心に内在しているものは、「好奇心」と「モラル」である。この2つの感情が、倫理的葛藤の基に天秤に掛けられている。
本件の場合、本作が読まれれば読まれるほど著者に印税が入るという点で、更に嫌悪感を抱かせる要素がある。
既にアマゾンレビューには500件を超えるレビューが付いているが、ここで注意しなければならないのは、この500人を超える人達は、遺族が出版差止め声明を出しているなか、既にこの本をお金を出して購入し、自らの意志で読んでいるということである。
再びリベンジポルノの例で考えるのであれば、被害女優の呼びかけを無視して、流出動画を見ているのと同じではないだろうか。
勿論、読んだ人は読んだ人なりの価値観があり、様々な自らの考えの上で「読む」という決断をしたのであろうし、商業出版として平積みされている以上、誰でも手に取る権利はあるのだろうし、少年犯罪史上希有な事件の当事者が事件を振り返るということで、犯罪心理学という面から色々学ぶこともあるという意見もあるんだろう。
でもここで1つ思うのは、それは「好奇心」という恣意的な要素を隠したいがために、後付で用意した自己正当化のための理由なんじゃないか?とも思う。
自己正当化している人間が本書を読んで、「この本は犯人による自己正当化のための本だ!」なんて感想を述べているのだとしたら、その現象自体がなんとも皮肉だ。
この本は遺族に無許可で出版された本だ。それが本作を読まない人の論拠の1つであることは先に述べた。
仮に本作が事前に遺族の許可を得ていた場合はどうだろう。読まない派の人の論拠は、遺族の同意の不在である。であるのならば、遺族の同意が得られているのであれば、読むことに対して何の問題もないといえるのだろうか。
もしそうだとするのなら、本件のキーワードは“同意の所在”であると言える。
確かに実際の事件の被害者である遺族の方が内容に目を通し、その上で許諾をしたのであれば、僕自身も倫理的葛藤はせずに読めていたと思う。
リベンジポルノの例でも同じだ。実際には考えにくいことではあるが、動画公開に関して女優本人に事前許諾を貰っているのであれば、一般的にはおかしな事態であろうとも、それは結局本人の意志ということで見る側は倫理的葛藤を惹起させられることはない。(厳密に言えばそれはリベンジポルノとは呼べないのかもしれないが)
そして最後に著者に印税が入るということを考えなければならない。
この論拠は至極当たり前のことで、狂気的少年殺人犯という一種の知名度を利用してお金を稼ぐことや、お金を出して購入することで著者と出版社にお布施をすることになるという嫌悪感からくるものだろう。
では仮に、本作が無料公開、または印税の全額を遺族に譲渡する場合であるのならばどうだろうか。その条件であれば本作を読むことに対する倫理的葛藤は起こらないか。
個人的には、それでも遺族の同意がない場合は倫理的葛藤は生じると思う。むしろ無料だから、印税は遺族に譲渡されるからという手軽さや大義名分を背負ったことによって、より自分の好奇心を満たすためだけに読もうとする人が増えることになり、遺族の方を更に苦しめることになりかねないと思う。
先のリベンジポルノの例でも述べたが、女優本人の同意がない以上、無料だろうが動画を見たら女優にお金が入ろうが、見ること自体が女優を苦しめるのだ。本件では僕が調べた限り、遺族の方の出版差止めに関する詳細な理由は出ていない。しかし、それを求めているという事実があるだけで、もう十分読んではいけない理由になり得ると思うのだ。
まとめると「出版に関する遺族の同意」「無料公開もしくは印税の全額を遺族に譲渡」この2つのどちらも欠けること無く揃った状態でない限り読むべきではないと個人的には思うし、出版元である太田出版が何を言おうと詭弁だと思うのだ。
勿論僕自身も興味はあるし、読んでみたい。でも、遺族の方の気持ちを想像してみてほしい。
被害者の方が出版を止めてほしいと言っている本を好奇心のために読むという行為。
更にそれに付随して印税が入るという事実。
自分なりに整理して見た限りでは、少なくとも現時点においてお金を払って本作を読むこと、それ自体に対して懐疑的である。
最後に、この事件で子どもを殺された遺族の方の本件に対する抗議文を引用しておきたいと思う。
加害男性が手記を出すということは、本日の報道で知りました。
彼に大事な子どもの命を奪われた遺族としては、以前から、彼がメディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました。なぜ、このようにさらに私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません。
先月、送られてきた彼からの手紙を読んで、彼なりに分析した結果をつづってもらえたことで、私たちとしては、これ以上はもういいのではないかと考えていました。
しかし、今回の手記出版は、そのような私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちがないことが、今回の件でよく理解できました。
もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしいと思っています。
<追記>
アマゾンレビューをよくよく読んでみると、お金を出して本作を購入している人が少ないようで、少しホッとした。