起業家の業(カルマ)

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最近、サイバーの藤田さんや、DeNAの南場さん、マザーハウスの山口さんとか、

タリーズの松田さん、元ハイパーネットの板倉さん、エスグラントの杉本さん・・・etc.などの

多数の起業家の自叙伝的エッセイや、その中のいわゆる倒産本などを読むうちに分かったことがある。

それは、起業家・事業家と呼ばれる人種には、

一種の業(ごう)や性(さが)みたいなものがあるのだということだ。

1つの局面においての栄光と挫折。

ステークホルダーの人々やマスメディア、

更には関係のない人間にまでストレスの捌け口としての罵詈雑言、

家庭での離別など、極度の精神的負荷を受けながらも、目の前のことに立ち向かう。

結果としてその何かしらの問題に負けてしまい、自己破産し、

もはや天文学的な数字の負債を負う場合もある。

しかし、真の起業家スピリットを堅持している人間は、

勝とうが負けようが、「退く」ということを知らないのだ。

先述した状況で、再び這い上がってやる、と思えるその気概はもとより、這い上がった先にも、

終わることのないサバイバルゲームが待っているということも本人は承知の上で、

何度でも、そのステージで戦っていくことを選択する。

別にインターネットのインフラがここまで整った現代においては

スモールビジネスを立ち上げて、

プライベートカンパニーとしてゆったりとやっていくことも可能であろうし、

そのことはきっと本人自身も理解しているのに、だ。

お金を目的にしているのであれば分かりやすい。

が、そう安直な理由ではないのだ。

きっと、それはもう、一種の人間としての業(ごう)や性(さが)なのだと思う。

別にやらなくてもいい。でも、根源的な、起業家としての得も言われぬ衝動があるのだと理解した。

そして彼らの業を支えているのは、各々のミッションなのだと思う。

そう考えた時に、多くの自称起業家の中に、

本当の意味でこの起業家としての「業」を持ち合わせている人間はどのくらいいるのだろうか。

金銭的、時間的、精神的、社会的に自分がどれほど追い詰められようとも、

自分のミッションと天秤に掛けて、ミッションを優先できる人間はどのくらいいるのだろうか。

いや、ミッションと心中できる人間はどのくらいいるのだろうか。

会社と心中できる人間はどのくらいいるのだろうか。

必ずしもこの精神性を持つべし、という訳ではないが、

大きな事業を成し遂げる人間には、

この業なるものが、体の中に棲みついているように思えてならない。