善く生きる為の31の法

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今更なんですけどね、

僕しばらく前にしれーっと、ブログのタイトル変えたんですよ。

いや、こんな場末のブログのタイトルが変わろうがどうしようが、どーでもいいことでしょうけど、

まぁ変えたのには僕なりにいくつかの理由があったわけです。

で、まず前のブログタイトルがどんなだったかといいますと

「常に、内面的充足感が満ち満ちている生き方~人生とは、自分とは、哲学的な問いに真摯に且つ泥臭く向き合うブログ~」

はい。

分かってます。

言いたいことは。

「なげーよ。」

ですよね。

それに、何か、きもちわるいですよね。

いや、でも言い訳させてもらうと、

このタイトルを付ける前のブログが、完全にインフォビジネス時代のブログだったわけで、

僕としては、早急に、何でもいいから別のものに変えたかったんですよね。

で、さっきのながーい、もはやタイトルというよりも

僕の成功の定義を、そのまま応急処置的にタイトルに命名した訳です。

まぁ言い訳はこのへんにしておいて、じゃあ新しいブログタイトル、

つまり今のブログタイトルに関してですが、これはどうなんだって言われると、、、

やっぱり……きもちわるいですよね。

タイトルの意味はアナタのご想像の通り、月並みな意味で、

「人生を実験として捉えて生きていく」ということです。

で、キャッチコピーとして、高杉晋作の有名すぎる辞世の句を文字って

「おもしろき、この世をもっと、おもしろく」とかカッコつけてみました。

人間って変化する生き物じゃないですか。

あらゆる面において。

だからきっと、ずーっと、普遍的に気にいるようなタイトルって無いと思ったわけです。

じゃあサブタイトルとして、おそらく一生付き合っていくことになる、

自分の名前でも冠しておいたらいんじゃね?くらいのスタンスでつけました。はい。

いやね。

ここからちょっと真面目な話になりますけども。

いや、ほんと、ユーモアの欠片もない気持ち悪いくらい真面目な内容になるんで

そーゆーの受け付けない人は、ここで画面を閉じてもらって構わないんですが、

……と、外堀を埋めた上でですね

さっきはちょっと照れ隠しに人生実験ってタイトルを「きもちわるい」って評しましたが

本音で言うと、ガチで人生って実験でしかないと思うわけです。

確かにこのような事って、自己啓発本とかでよく言われてますよね。

でも、それを、単に頭で理解している人はいても、

本当に体で体現している人ってどのくらいいますかね。

「言うは易し行うは難し」っていう格言がありますけど、

僕にとってこの「人生実験」ってフレーズは、

一種のミッション・ステートメント(個人憲法)であるわけです。

もう1つ、「おもしろき、この世をもっと、おもしろく」ですけど、

高杉晋作の元の辞世の句は、ご存知の通り「おもしろき、こともなき世を、おもしろく」です。

で、高杉もこの句に続く形で「すみなしものは 心なりけり」と言っている通り、

この世が面白いか面白く無いかを判断するのは、

他のだれでもない、自分のこころなんですよね。

そう考えると、世界は既に、というか今の時代っていうのはかなり面白いよなーと思うわけです。

じゃあその面白い世の中に対して、

自分のストーリーを実験的にどんどんと紡いでいって、さらに面白くしてやろうぜ!

ってな感じの意味を込めてもじりました。

ここ最近、自己との対話をして思ったことがあります。

それは、「善く生きる」ということに関してです。

【善く生きる】

この言葉には多くの意味が詰め込まれていると思っています。

その中の1つ、「人間として善く生きる」ということ。

じゃあそのためにはどうしたらいいのか。

僕は考えました。

考えて考えて、考えをまとめたら、下記のような条項ができました。

善く生きるためには、、、

・開き直るのではなく、自己を認めたうえで、許容します。

・自分=感情ではないことを肝に銘じます。

・自分に優しいが故に、他人にも優しく接することが出来ます。

・年齢で相手を重んじる事があっても、軽んじる事はありません。

(目上の人には敬意を払い、同い年、年下の人にも敬意を払いつつ、対等な立場で接します。)

・常に競争相手は自分自身のみであり、評価基準を他者に合わせることはありません。

・「巧遅は拙速に如かず」ということを肝に銘じ、正しい選択肢を選ぶのではなく、選んだ選択肢を正しくすることに努めます。

・理解される為に、まず、理解に徹します。

・全てを愛し、愛に基づいて、今を生きます。迷いが生じたら、「愛なら今、何をするだろうか」と問いかけます。

・他者を軽蔑することはせず、他者の欠点は進化の伸びしろ部分、自分が役立てる部分と見なし、ただ愛に基づき奉仕します。

・恩送りや喜捨のように、無償の奉仕を大切にします。

・自分が常に内的充足感にあふれているからこそ、他者にそれをおすそ分け出来ます。

・人の善意は、相手のためにも、素直にすべて受け取ります。

・他者を変えようとしたり、期待したりするような傲慢さは捨て、ただ、他者をありのままに許容します。

・時代・環境・状況がいかなる場合であっても、常に自分はオプティミストであり続けます。

・足るを知り、現状のあらゆる事に感謝し、小さな幸せを大切にします。

・物事を出来ない理由からではなく、出来る理由から考えます。

・誰にも妄信はせず、誰が言ったかよりも、何を言ったか。誰がしたかよりも、何をしたかを重視します。

・上り調子の時こそ気を引き締め、下り調子の時こそ人間としての成長期間だと捉えます。

・自己(自分の心)との対話を一番大事にします。

・ルールは守ります。慣習は疑います。

・やりたくない事、面倒臭いことから率先してやります。

・自分とは発見するものではなく、創造していくもの。人生というストーリーは見つけるのではなく、自分で紡いでいくものであることを体現します。

・遊び、お伽話、エンターテインメント、ユーモアを大切にします。

・年齢を重ねていくほど、心は若返っていきます。

・自分の影響力が及ぼせる所に注力し、他の事には意識的に時間を割きません。

・美しい物を素直に美しいと思える心や、成果を上げた人を素直に祝福できるような心の態度を、常に堅持します。

・言葉が人生を支配していることを理解し、意識して、慎重に、積極的且つ建設的な言葉を選択します。

・正しくないと分かっていることはしません。

・行動に制約は設けません。しかし、何事も本気でやる、という制約だけは設けます。

・以上全ての条項に関して、言葉として頭で理解することと、体現する事によって理解することとは、全く別物であることを肝に銘じ、行動を変えるために、まず環境を変えます。

最後に……

人生を、おもいっきり楽しみます!

これは自己啓発風に言えば、

「人生を成功に導くための31の法」と、言えるかもしれません。

少なくともこれは、書き連ね、まとめてから僕のミッション・ステートメント(個人憲法)になりました。

そして、このミッション・ステートメントを守ることで、人間として成長し、

それに伴い成功もすると思っています。

技術や能力も確かに重要かもしれません。

しかし技術や能力は、二の次だと思っています。

あくまで一番重要なのは人間力。

つまり人間として善く生きているかどうかが、突き抜けられるかどうかの境目、

また、突き抜けた後に、それを継続できるかどうかの最重要ファクターになってくると思っています。

成功の定義は、人それぞれだと思います。

現時点での僕の成功の定義は、冒頭で述べた通り、先のブログタイトルにしていた

「内面的充足感が満ち満ちている状態」です。

内面的な充足感を満たすためのファクターがお金であり、時間であり、精神性なのです。

と、考えると、僕は今、僕の定義の上では、成功者なわけです。

自分が内面的充足感が満たされているからこそ、他者にそれをおすそ分けできるんです。

そしてそれが「ありがとう」となって返ってくるのが、ビジネスの本質だと思っています。

この半年間、いわゆるこころの弱い人間の気持ちを知れたことは

僕にとっての大きな財産になったと思っています。

前の僕なら間違いなく資本主義の競争という概念・論理の基に、そういう人間は一蹴していました。

やっぱり、人生において無駄なことは何一つ無いんだなーと実感しています。

無駄なことがあるのではなくて、無駄だと思うこころがあるだけですね。

しかし、そろそろ今の生活にも飽きてきたので、またなにかやり始めようと思っています。

人生を実験として捉え、おもいっきり楽しんで生きる!

そう考えると、人生ってワクワクがいっぱいです。

このブログは、そんなワクワクをおすそ分け出来るようなブログにしていけたらと思っています。

もしよければ、あなたのワクワクも、おすそ分けしていただけたら幸いです。

それでは!

PS

ドラえもんの名言にこんなものがあるそうです。

「立派すぎる決心は、きっと、三日坊主になる」

おー、こわ。

立派すぎるミッション・ステートメントを記載した後にこの言葉……

こわ。

おそらくのび太に対しての発言でしょうが、

マジレスすると、そんな自分も認めてあげるということです。

逆にそこで、3日も続けられた自分を褒めてあげることのほうが大事かなーと。