【四国遍路】文春の取材とラーメンの暖かさ【10日目】

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昨日は海辺近辺のこの旅の宿にテントを張らせて頂いた。

海からくる風邪が強く、テントがものすごい頻度で揺れたのと、若干の傾斜があったために、寝ては起きてを繰り返していた。

テントを撤収するとこんな感じの小屋である。奥に寝袋のお遍路さんが泊まっていた。例によって衛生面では不安だが、一応布団と座布団もある。

一緒に泊まったお遍路さんは足を痛めていて、少しでも距離を稼ぎたいからーとのことで、昨日約束していた菅笠の補強を施してあげた後にすぐ発って行った。なんでも毎日10キロは走っているマラソンランナーらしいが、マラソンとこの四国遍路は全く別の辛さがあるらしい。そういえば昨日一緒に歩き続けた東京都の方もフルマラソンの方が楽、と言っていたのを思い出す。僕の方は書き残っていたブログを書いてからの出発だったので、遅めの8:00に野宿場所を去った。

途中、空海の修行場所があったので寄り道をする。

修行道をなんとなく歩いていると、たまたま出た場所が24番の目の前だった。導かれている。そして、やっと着いた。90キロの道のりも、淡々と歩けばいつかはつくものである。

しかし、門前に至るまでの山道が地味にキツイ。恒例の、最後の最後で山登りというイジメである。

やっとのことで山門に着く頃にはヘロヘロだった。

24番を参拝後、売店の椅子に座ってアイスを食べていたところ、週刊文春に取材をされる。なんでも四国のトイレを調査しに来ているらしい。なんだかよく分からないが、なし崩し的に取材を受けることになり、色々と聞かれる。そしてやっぱりその中には定番の「なぜ遍路をしているんですか?」も含まれていた。しかし、昨日あれだけ「なぜ遍路をしているのか?」という質問をする奴はクソくらえやー!!と言っていたのにも関わらず、あっさりと答えてしまった。インタビュアーのおじいさんが、ベルタースオリジナルの飴をくれそうなほど、柔和だったからだ。まっことズルい。けれどもそんなにガッツリと話したわけでもなく、軽い取材だったし軽い記事だろうとも思うので、軽い感じでザックリと「何かしら自分をボロボロに使いたかった」と答えておいた。

その後写真もお願いされたが、基本的にお断りしたものの、顔出し無しならということで、24番から下る最中のこのオーシャンビューを背景に歩いている風景をパシャパシャ撮られた。
俺はなにをやっているのだろうか。ジャケ写を撮っている場合ではないのだ。記事は6月に載るらしいが、まぁもうどうでもいいか、と思い、再び歩き始める。

沖縄のような景色が続く。

25番札所と26番は近いのでこれまでに比べれば相当早く着く。その前にエネルギー補給をと、近くにあった定食屋に入る。鰹たたき定食である。高知のカツオは特別旨いと評判だが、この鰹は特別普通だった。

ここはどら焼きが有名らしいので、揚げドラというどら焼きを揚げたものを注文。懐かしい味が口の中に広がった。

25番、26番札所参拝。ここで昨日の東京都から来た区切り打ちの方と再会する。その際、手の日焼けが痛くてどうしようもないことを告げると、「僕はもうすぐ帰るので」と言い、日焼け止めをお接待して頂いた。非常に助かった。これから夏場などに歩き遍路する方は日焼け止めはマストで持って行ったほうがいいと思う。日焼けを気にするとか、しないとか、そういう問題じゃなくて、単純にめちゃめちゃ肌が痛くなるのだ。僕の場合は肌が服に触れるだけで痛むし、先程食べたお味噌汁の湯気がかかっただけでピリピリして茶碗落とすかと思った。

東京都の方は26番の宿坊に泊まるらしいのでここで別れ、僕は本日も行けるところまで気力の限り行くことにする。野宿だと、こういうところは自由だ。

途中、不動岩に立ち寄り、お大師さん(杖)に懐かしの風景を見せる。夜が近くなるにつれ、同行二人というもののありがたみが増す。お大師さん、あなたは岩の上で何を思い、何を煩い、そしてどう生きようと思ったんですか。小生は今、小便がしたいです。

あっという間に夜もふけ、真っ暗な中、何もない道をただひたすらに歩いていると、一軒のラーメンの看板を発見する。街灯に引き寄せられる蛾のように、自然とその店へと足が進んだ。

店内はすごく味のある、小料理屋で、お母さんが1人で切り盛りしている感じも温かみを醸し出していた。とりあえず味噌ラーメンを頼む。店内にはなんでも鑑定団が流れていた。ぼうっと辺りを見渡し、ラーメンを作るお母さんの背中に焦点が合う。この人は、どういう人生を歩んで、今ここでラーメンを作っているのだろうか。なんてことを思う。

自然と聞けば、もう35年も自営業をしているらしく、最近はこの辺の地域の主産業である工業だとか漁業関係の仕事が少なくなってきたため、それに伴い客足も遠のき、人件費も削らなければならなくなり、今は1人で切り盛りしているらしい。なるほどなーと思いながら、人生の先輩の話を聞く。そうこうしているうちにラーメンが出来上がる。暖かいなぁと、思った。こういう環境というか、場面で食べるラーメンは、なんとも言えない味がする。スープまで飲んでしまう頃には、自然と自分のことも話していた。人生色々あるが、僕はこのお母さんが醸し出しているような、達観している感じが好きだ。死を覚悟しているからこそ生まれるような達観性は僕にまだまだ得られそうにない。

たくさんの元気を貰った。まだ、行けそうだ。ちゃっかりコンセントも貸して頂き、お接待に柏餅も貰った。気持ちがありがたい。

夜の国道沿いをヘッドライトを点けて淡々と歩く。今日は立石休憩所に泊まることにした。ここからあと3.4キロである。

一度ヘッドライトを消せば、奥にうっすらと見える街灯の明かり以外は、何も見えなくなる。

今日は今まで1番長く歩いた。野宿場所に着く頃には21:30を過ぎていた。虫にも慣れた。野営にはもっと慣れた。もう今ならどこでも寝られる気がする。どんどん図太くなっていく。アウトドアはおろか、テント泊など一度もしたことがなかった人間を、ここまで変えてしまうほどには、環境は人間を変える。

【支出】食費1940円

【歩行距離】34.1キロ

【参拝霊場】24.25.26