【四国遍路】自分が最強であることは自分だけが知っていればいい【16日目】

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菩薩様と蜘蛛さんに見守られながら一夜を明かす。山の上のお寺から朝日とともに見える眼下の景色は清々しかった。

通夜堂で荷物の整理をしていると、無くしたと思っていた方の連絡先が書かれた名刺だったり、メモ用紙が出てきた。連絡先を紛失したと思ったときは、手紙を出せないなぁと一抹の悲しさを覚えたものの、一期一会とはこういうもの、それに会いたければ、いつでも、また会うことができる。なんて思っていた。

そんな感じで、出会いとはストックされるものではなく、流れていくものだと思っていたが、ここで連絡先を見つけられたのも何かの縁で、菩薩様に「結願した際は、ご報告をしなさい。」と言われているような気になった。この35番清瀧寺は通夜堂に泊まったせいか個人的に雰囲気が好きで、参拝後も境内を散策してみたりした。

靴をストーブで乾かした後、通夜堂を後にする。

……が、右足小指のマメが痛すぎて、全然足が進まない。確実に今まで1番痛い。ベタ歩きと杖を使いながら進むも、何度も立ち止まってしまう。これは今日20キロも歩けないのではないかと不安がよぎる。

途中対向車線にいた車がわざわざUターンして僕の横に止まり、乗っていたお母さんから1000円のお接待を頂く。お礼を言いお札を渡した後、すぐまたUターンして去っていく車を見て、お接待の文化とは凄いものだなと改めて感じる。

痛みは依然とれないが、昨日の夜お菓子しか食べていないせいか腹は減る。近くに見つけたレストラン「樹里」でランチを頂く。

昼食後、少し時間をおいても痛みは取れない。どうしたものかと一度路肩に腰を下ろし、靴下を脱いでみると、右足小指のマメがパンパンに腫れ上がっていた。おそらく前日の水抜きが上手くいっていなかったのだと思う。急いで針で穴を開けると、溜まっていた水が溢れてくる。

消毒と絆創膏を貼り、一応の応急処置は施したものの痛みは変わらない。更にはこれから塚地峠というアップダウンのある山道を越えていかなければならない。

謎の眠気も襲ってきていたため、山道に入る前の休憩所で仮眠をとる。数十分後、肌寒くなってきたので意を決して歩こうと歩を進めると

「!!!」

痛みがひいてきているのを感じる。応急処置が功を奏したのか、アスファルトの硬い地面ではなく山道だからなのか、原因は定かではないが、とりあえずなんとか歩けるのだ!!

俄然元気を取り戻し山道を進む。

開けた道から見える景色にもエネルギーを貰う。

下りは若干キツかったが、山道は日光の照り返しもなく涼しい。

下山後は船舶が並ぶ港へと出た。

時間的に本日中の青龍寺への参拝は諦め、橋を渡った先の竜が浜休憩所近辺で野宿をすることにした。

土佐の空は高い。

橋を降りた後、創価学会のおっちゃんに法華経の法説を説かれる。創価学会と聞いただけで拒否反応を起こしてしまう人もいるが、個人的には創価には好意も嫌悪も抱いておらず、あくまでフラットに見ている。確かに悪い噂もあるが、創価によって救われている人が多数いるのも、また事実なのだ。

創価のおっちゃんは法華経を基にした人生哲学の話を色々としていた。僕も宗教は少しかじった程度の知識はあったので、言っていることもなんとなくは理解できた。因果応報やら、四門出遊、利他の精神、一心三眼の話など色々と言っていてなかなか面白いなとも思ったが、個人的に、このおっちゃん「なんだかなぁ……」と思った自分もいた。

なぜなら話し始める時に、イキナリ聞いてもいない自慢話のような自分の武勇伝を語り始めたのだ。人それぞれ、人生における華々しい時期というものはあるが、それにしがみついたり、離れられなくなった瞬間に、「今」という瞬間の輝きは失われてしまうのだと思う。

このおっちゃんは死後には財もなにも持っていけないと言っていたが、それなのに売り上げ日本で5本の指に入ったとかいう話をするのは矛盾しているのではないかと思った。もし仮に、それで自分を権威付け出来ると思っていたり、その話に飛びつくような人がいたりしたら、それこそ悟りなんかとはほど遠い、おっちゃんの言う権力と結びついた卑しい人間なのではないかとも感じた。

自分の武勇伝を語ったり、自分を大きく見せようとする必要は全くないのである。禅の精神とも繋がるが、大事なのは、天上天下唯我独尊であることを、自分が知っていればいいだけなのだと思う。だから本当に人間として大きい人は一見して普通の人に見えるかもしれない。少なくとも自分を大きくみせようとしたり、虚栄心を持っている人間ではないということだけは言えると思う。だから僕は「禅」が好きだ。禅の精神を大事にして、今を噛みしめ、最強な今日の自分を生きていきたいと思っている。

まぁ人を見る目を養うのも、遍路においては修行の1つと言われている。関東で自分で仕事をしている時も、何度かそういう宗教の勧誘にもあったが、一様に言えるのは、勧誘している側は、「本当に救われたからあなたにも!」という善の精神で勧めているのだ。宗教が嫌われる理由の1つはここにあると思っていて、自分が救われたからといって、相手にそれを押し付けるからおかしくなるのだ。

その点このおっちゃんは創価を押し付けるわけでもなく、「興味あったら法華経勉強してみてよ」と言うだけに抑えているところは好感が持てた。ビジネスでもよくある勧誘しない方が勧誘出来るというアレである。

長いお話を聞いてくれたお礼か、おっちゃんがパンでも買ってきてくれるという。僕もそこは強かに遠慮せず食べたいものを言うと、袋一杯に甘いものを買ってきてくれた。これは素直にとてもありがたい。

おっちゃんとの別れ際、こういうことを他の人にもやっているのか聞いてみた。

すると「これまで7回警察呼ばれた」とニヤニヤしながら答えてくれた。

7回も警察呼ばれたのにも関わらず、懲りずに若いお遍路さんを捕まえては法華経を説いているそのバイタリティだけはすごいなあと思う。

おっちゃんにお礼を言い別れ、海の見える休憩所で夕飯を食べる。見晴らしが最高だ。写真は撮れなかったが、猫が3.4匹もいてワシャワシャしたかった。

竜の浜休憩所は風が強かったため、結局そこからちょっと先の四阿の後ろにある木の陰にテントを張った。海辺ということで夜は冷えたが、潮騒の音聞きながら心地よく眠ることができた。

【支出】飲食費680円.670円

【歩行距離】17.7キロ

【参拝霊場】35

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【ふぉろーみー】