【徒歩日本一周】東京脱出【10日目】

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ようやく東京を出れた。お遍路の時に知り合ったご夫婦の家に約1週間ほど滞在し、その後彼女に会いに行くなどしていたら、出発から10日経っても未だに東京徘徊をしていた。もはや日本一周ではなくただの東京23区巡りしているような気になっていた。

結局、手紙を渡して一度お別れしたはずのご夫婦のもとにわずか一日で舞い戻るという暴挙を犯しながらも、なんとか出発することが出来た。

その日は二人が幕張方面に行くということで、僕も同乗させてもらい、そこからスタートすることに。

三井アウトレットパーク近辺で、おそらく今度こそ(確信はないが)お別れをし、千葉の海岸沿いを目指す。

しばらく歩けばすぐに太平洋が見えてくる。

ウインドサーフィンをしている人がたくさんいた。

海岸沿いあるあるの、リアル版ツイッターカップル垢らしきものがたくさんあった。闇が深い。

読んでるこっちがくすぐったいまんなカップル垢を横目に、太平洋の果てまで伸びているような突堤を進む。

最果てには何があるかと思ったら、爺さん四人組が車座になってエロ本品評会をしていただけだった。まだまだ俗世だ。

海岸沿いはランニングコースになっていたのもあってか、ちょこちょこ話かけられる。

大抵のパターンとして

「え!?徒歩で日本一周してるんですか!?」

「そうなんですー」

「どこから来たんですか!?」

「埼玉ですー」

「何で始めようと思ったんですか!?」

「思いつきですー」

「…………」

この間(ま)がじわじわくる。

でもやっぱり人と会話をすると、お世辞抜きでそれだけエネルギーを貰える。何時間も一人で歩いていると、人間誰かと話をしたくなってくるものだ。

海岸沿いを少しそれ、国道のような開けた道を歩いていると、近くに少し休憩出来そうなところがあったので立ち寄る。

ベンチにザックを降ろし、トイレに行って戻ってくると、自販機の詰め替えに来ていたおっちゃんに話しかけられる。ほんの少しの間だったものの、このおっちゃんの身の上話を聞かせてもらった。

なんでも二十歳まではキャバクラのボーイをやったりやんちゃして、その後フィリピンの子にいれこんで21の時に結婚。子供を産んだものの離婚し、その後娘が中学生になってから引き取り、それからずっとシングルファーザーとして育て、今年で娘さんは二十歳になるらしい。

「(守るべきものが出来て)就職してからはあっという間で、何で俺は今こんなこと(自販機の詰め替え作業)してるかわかんないもん」とそのおっちゃんは言った。

自分の人生をどうしたいかとか、どう生きたいかとか、そんなことを考えんのも忘れちゃった、と。

僕からしてみたらシングルファーザーで娘さん一人を育て上げるのはそれだけですごいことだと率直に思う。子育てを経験したことがないからなおさらに。

でも、もし仮に、今の僕に役割があるとするならば、それは、その忘れていた「なにか」を思い起こさせるきっかけになることなのかもしれない。それは歩いて日本一周をしようよ!ということではない。年齢とかお金とかそういう外的要因は関係なしに、人間、やってやれんことはないということ。気持ちさえあれば、案外、どうにかなるもんだということ。若い頃に感じていた、あの「根拠のない自信」というものを思い起こさせるきっかけになれれば、それは僕が旅をする1つの意味になるのかもしれないなぁと、おこがましいながら思う。

おっちゃんに飲み物を1本頂いた。「東京人は冷たいけど、田舎の方行けば優しい人も多いし、これからきっといい出会いがあるよ!」と、おっちゃんは言っていたが、東京人のあなたに出会えて、僕は嬉しかったですよ。

 そもそも東京人は冷たいのではなく、各々のパーソナルスペースを確保しているのだと思う。一人一人が自分にとって安全なラインを無意識に定めている。だからこそ他人にもパーソナルスペースがあるのだと分かっている。それ故になかなか相手に近づきにくいだけで、腰を据えて話せば東京人とか関係なしに、おおよその人間は善性というか優しさを持っていると思う。それを田舎の人はパーソナルスペースがコミュニティ化しているので表出させやすいだけなんじゃないかなぁと、ぼやっと思う。

でもだからこそ、旅人である僕自身はパーソナルスペースは常にガバガバの状態にしておきたいと思う。

基本的にノーガードで、いつでも、誰にでもボディブローを撃ち込ませてあげられるような余白を持っておきたい。

 

それに関連して再確認した事は、人は良い意味でも悪い意味でも、究極的には自分のことにしか興味がないということだ。自分のパーソナルスペースを犯されないのであれば、他人が何をしていようと基本的には無関心だ。であれば、他人の目を気にしてやりたいことをやれなかったら、それは全くもってナンセンス。実のところメンタルブロックなどは存在しないもので、その障壁を作り出しているのは自分の幻想だということを認めないといけない。そしてそれを頭ではなく身体で理解し、自分の血肉にした時、きっと世界はもっと面白く見えるのだと思う。

 

そんなことを思いながら今日の野宿場所を探していると、ランニング中のマダムに声をかけられる。

なんとこの女性、御年70歳でありながら10キロを45分で走り抜けるマラソン歴10年の猛者だった。

聞けば、たった一人で海外のマラソン大会に行ったりとバックパッカーの大先輩でもあり話が弾んで連絡先まで交換してしまった。70歳のメル友が出来た。

勿論年齢とともに持病も増えるし、体力的、気力的な衰えがあるのは分かっているが、それを言い訳にして挑戦をやめてしまうと精神的な老いは加速するのだと思う。体力がどんなに衰えたとしても、頭が動いてさえすれば、何かに挑戦し続けられるはずだ。

生まれ持って底抜けに明るい人はほとんどいないと思っているけれど、挑戦者はいつも若く、明るい。

このマダムも例によって40代後半〜50代前半に見えた。

 

話の流れで野宿が出来そうな公園を聞き、女性にお礼を言ってお別れをする。

広い公園の中の人目がつかなそうな場所にテントを張り、身分証明書代わりの看板を掲げる。

テントの中で裸になり風呂代わりに介護用の濡れタオルで身体を拭く。

 東京にいる間お世話になりっぱなしだった森にぃが言っていたことがある。 「旅人は基本的には消費する生き方かもしれないが、旅人が歩く姿を通りすがりの誰かが見て、自分では意図していないにせよ、誰かを勇気づけることがあるかもしれない。」

それは旅人が出来る、唯一にして最大の提供かもしれない。だとするなら、明日からも下向かないで、胸張って歩いていこうと思う。

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