【佐原一周】佐原に居座る【1〜19日目】

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初めに言っておくと、全てはタイトル通りである。完全に日本一周感は薄れ、佐原で教えてもらった言葉で例えるならずっと「出ボケ」状態が続いていた。やっとこさ「砂はたぎ」が出来たのは驚きの19日目!去年のお遍路から合わせて考えてもここまで1箇所に留まるのは初めてだった。

そもそもどうしてこうなったのか、順を追って振り返って見ようと思う。

佐原に来た初日。30時間ずっと歩きっぱなしだったため、ケツの穴が切れて肛門科へと駆け込んだ。そこの待合室でたまたま隣に座っていたお母さんに教えて頂いた飲食店がヤムチャだった。しかし、ヤムチャに着く頃には既に「準備中」の看板が。ダメ元でドアを開けてからは日本一周の看板をきっかけにあれよあれよと話が進み、最終的にはそこに泊まらせて頂けることになった。

ざっくりまとめたが、この辺りのことは前日の記事に詳しい。

【徒歩日本一周】30時間ぶっ通しで歩いてみた【17,18日目】
【徒歩日本一周】30時間ぶっ通しで歩いてみた【17,18日目】
※画像容量が大きすぎて上手く表示されない場合があるみたいです。次の次くらいの記事からは改善されてと思うのでしばしお待ちを……。 昨晩スナックでだいぶ飲んだせいか、公民館の裏手......

そして翌朝。

結論から言えば、その中華料理屋でお手伝いをすることになった。

朝、起き抜けざまにお母さんに「あんた急いでないんなら、ちょっと家手伝ってかない?」と言われ、寝起きで頭が回っていない状態でよく分からないままとりあえず「あ、、、はい。」と言ってしまったのが始まりだ。

ひとまず昨日見れなかった佐原の街並みを観光しに行く。

佐原駅前で写真を撮っていたらおばちゃん集団に囲まれ、お布施と差し入れを頂く。なぜオバチャン集団の差し入れ三種の神器は「せんべい・クッキー・のど飴」なのだろうか。

その後小野川沿いにある伊能忠敬記念館へと向かう。

館内には伊能忠敬が実際に作った日本地図や測量道具などが展示されていた。

現在の日本地図と比べても、恐ろしいくらい正確だ。

記念館の入り口で黄昏れていると何やらバックパッカーのような香りがする女性に話しかけられる。

「子供はある程度育てたらあとは野に放して、自分の内から湧き上がる衝動を抑えきれなくて旅に出ちゃいました。」と言うと、おもむろに小学校で貰う日本地図をザックから取り出して見せてくれた。

なんだろう。前も書いたと思うけれど、何かしらの挑戦者からは一種の「陽」の雰囲気を感じる。

その人と話していると不思議とこちらまでエネルギーのおすそ分けをしてもらっているような気になる。

きっと、自分の純度に濁りを感じたら、内側に何かを求めるのではなく、外側に求めた方がいいのだと思う。自分の輪郭を内側から描こうとすると膨張してパンパンになってしまうし、何より自分の頭で考えられる以上の答えは出ない。ではなくて、外からの刺激でぼやあっとにじみ上がってくる輪郭をなぞるくらいの方が、かえって自分の純度は上がるのだと思う。

――と、そんな高尚なことを言っていられるのもそこまでだった。

それからはヤムチャのキッチンでひたすら皿を洗って乾かす皿を洗って乾かす皿を洗って乾かす、という作業を繰り返した後、17日間毎晩飲んだくれるという愚行を犯し、もはや酔っ払ってるのかシラフなのかの境界線が分からない状態が続いた。

今までフリーランスとして遊びか仕事か分からないような事を色々としてきた自分にとって飲食店のバイト的なことは生まれて初めての経験で、たくさんの発見があった。新しい事をすると新しい自分に出会える。その中で、「俺はこの土俵では勝てないな」ということを短い間だったけれど悟った。前々から気付いていたけれど自分が壊滅的に不器用だということを再認識し、「あんなにチャキチャキ動けねぇ!」と悲鳴をあげた。

人には得手不得手がある。だからこそ自分が勝てる土俵で戦ったほうが良い。そして自分の苦手な土俵があるからこそ、人は、一人では何もできないということを知り、謙虚になれるんだと思う。

そして、勝手に悟った柳少年は次第にサボり始める。

お母さんに「諏訪下行ってきまーす(^q^)」と満面の笑みで告げた時は大体サボりに行く気満々の時だった。

……しかし、そう甘くはなかった。

諏訪下にいると必ず20時くらいにスマホが鳴り出す。佐原の皆さんならお気付きだと思う、そう、

OKA-SANだ。

まるで僕の目論見をはなから見抜いていたかの如く速攻でヤムチャに招集される。鬼だ。さすがのOKA-SANだ。この人にはもう敵わねぇ!と白旗を振った。

そんな、逃げる僕と連れ戻すお母さんのシーソーゲームを連日繰り広げながら、サボり合間に子どもに野宿の仕方を教える。

子供は好きだ。あまりに本能的で人としての純度の高さに、自分ももっと子供に(大人に)ならないとなぁと見習うべきことも多い。

当初はヤムチャの2階に寝泊まりさせて貰っていたのだけど、途中から諏訪下の小鷲商店を掃除して自分の部屋を造り、そこに寝泊まりするようになった。完全に座敷わらしである。


 

そして佐原に来て2週間が経つ頃にはヤムチャ効果と毎晩呑み歩いていたせいもあり、町を歩いていたら誰かしらに「まだいるの!?」と声をかけられるくらいには地元感が醸し出されてきていた。

 完全に自分が旅人であることを忘れ、出るタイミングを見失っていたが、出会いがあれば別れはあるもの。踏ん切りをつけて次の一歩を踏み出すことにした。

いざ佐原を出発することを告げると、たくさんの方からお布施を頂き、お母さんからは派手目のTシャツを頂いた。色々な物を貰いすぎて確実にザックの重みは増しているけれど、これも重ための愛のバクダンなんだろう。

あったけぇなぁ佐原!

こういうことされると中々出にくいやん!(実際ぐだぐだしていたら出発が1日遅れた)

(拉致されそうな気もするけど)次来る時は山車会館で展示してあったこいつらが佐原の町を練り歩く姿をちゃんと見てみたい。


 ――酔っ払わなければ……。

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